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あの世の底がこの世だとするならば・・・この世もあの世の一部という事ですよね。一般的には魂と体、若しくは霊と体というのは対だと考えられてる方が多いのではないでしょうか。でもこの世もあの世の一部だと考えると、魂や霊と体は実は同じものの事を指すのだと解ります。それは、心と脳が実は同じものだというのと同じです。

黒人さんを差別するという文化風習が在る国が、昔は在りました・・・まぁ、今も残ってる所も在る訳ですが・・・差別する側にとって差別される側の黒人さんは、人ではない訳です。人ではないという事は、魂や霊を持ってないという事です。黒人さんは魂や霊を持ってないんだから差別しても良いという考えが、罷り通ってた世も昔は在ったんですね。でも当たり前ですが、そんな事は在りません。黒人さんにも、魂や霊は在ります。だって黒人さんも体を持ってて、体=魂や霊なのですからね。何にしても、差別なんて碌なもんじゃありませんよね。

あの世の底がこの世という事を、もうちょっとだけ詳しく書くと・・・情報空間の底が物理空間である、という事に成ります。情報空間ってな、まぁ頭の中の事だと考えて頂いて構いません。だから人の数だけ、人の頭の中の世も在ります。つまり情報空間は、人の数だけ在るという事です。

例えば、犬をペットとして飼って居られる方も多いでしょう。犬には色んな種が在りますよね、チワワやらゴールデンレトリーバーやら柴犬やら。例えば1匹の柴犬を飼ってるとして、その柴犬の名は「ポチ」としましょう。当たり前ですが、この人が飼ってる柴犬のポチは物理空間に居ます。物理空間に居るという事は、情報量が多いという事です。生物の中の脊椎動物の中の哺乳類の中の犬の中の柴犬の中のポチですから、生物の中の脊椎動物の中の哺乳類の中の犬の中の柴犬よりも「ポチ」の分だけ情報量が多いんです。という事は、柴犬よりもポチの方が抽象度が低いという事です。情報量が増えると抽象度は下がり、情報量が減ると抽象度は上がります。そしてポチよりも抽象度の高い柴犬は、ポチを含む全ての柴犬を包摂します。つまりポチは物理的な存在ですが、柴犬は情報的な存在です。

ドンドンと抽象度を高め、情報量を減らしてきます。すると、有に行き着きます。これは仏教の御経の般若心経で言う所の「色即是空空即是色」の、色の事です。色=有には、無という対が在ります。では有と無を包摂する概念、有と無よりも1つ情報量が低く抽象度の高い情報空間には何が在るのでしょうか。それこそが、空です。そう考えるとですよ、色即是空空即是色は誤りですよね。だって色(有)は空ですが、空は色(有)ではないのですからね。ポチは柴犬だけど、柴犬はポチだけでは無いですからね。色即是無無即是色、そして空包摂色空包摂無が正しいでしょうね。

こう考えると、情報空間の頂きは空という概念で閉じられてる訳です。じゃあ情報空間の底は物理空間で閉じられてるかというと、そうではありません。物理空間という底の下には、とある概念が在ります。そのとある概念に縁り、情報空間の底は閉じられてます。そのとある概念とは、矛盾の事です。

矛盾してるものって、矛盾してないものよりも情報量が多いんです。例えば、犬は「ワン」と鳴き「ニャー」とは鳴かない訳です。でも犬が「ニャー」と鳴くなら、それは矛盾してますよね。犬に「ニャー」と鳴くという情報が加えられて、矛盾なんです。物理空間に居る犬よりも、情報空間に居る「ニャー」と鳴く犬の方が情報量が多い訳です。つまり物理空間に居る犬よりも、情報空間に居る「ニャー」と鳴く犬の方が抽象度が低いんです。だから、情報空間の底は物理空間ではなく矛盾で閉じられてるんです。

ちょっと前までは、変性意識なんてのが肝でした。でも、人は常に浅い変性意識状態なんです。変性意識状態で無い状態が在るとするなら、それは100%物理世界が見えてる状態です。そんなの、釈迦さんの他にはやれません。私達は常に浅い変性意識状態だから、私達1人1人は同じ物を見てても違うものを見てるんです。同じ時に同じ場で同じコーヒーを見ても「旨そう」と感じる人も居れば「旨くなさそう」と感じる人も居る、という事なんですね。

でも釈迦さんは、全てのスコトーマ(盲点)を外したんです。つまり、世の全てのものの重要度が全く同じという状態に成ったんです。それは例えば、目の前に在る数百円のペンと我がの母が全く同じ重要度に感じるという事です。するとどう成るか、スコトーマが外れ全てが見える様に成ったんです。それはつまり、己が解ったという事です。世には、己と宇宙の2つしか在りません。そして己と宇宙は、対です。全ての奇数が解った瞬間に、自動的に全ての偶数が解る様なもんです。だから己の事が全て解り切っちゃうと、その対である宇宙の事も自動的に全て解っちゃうという事なんですね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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