憂国

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日本の仏教は、世界では仏教だと捉えられてません。強いて言えば、禅位でしょうか。曹洞宗の道元さんを描いた『ZEN』という映画が、前に作られましたしね。2011年にインドのサルナートで、釈迦さんが悟って2600年を記念する式典が開かれました。でもその式典には、日本の僧さんは呼ばれませんでした。世界的に見て、仏教と言えばチベット仏教でありスリランカの仏教なんです。宗教と認められてない仏教、そして仏教だと認められてない日本の仏教なんです。では何で、日本の仏教は仏教界から無視されしてまってるのでしょうか。

僧が着てる服を、法衣と言います。そしてこの法衣は、糞掃衣と呼ばれます。でも日本では、袈裟という呼び名の方が皆さんも御存知ですよね。海外の偉い僧の皆さんは、黄色い糞掃衣を着てます。糞掃衣とは読んで字の如く、糞尿に塗れた衣です。釈迦さんの頃の仏教徒は、死体から服を頂いて着てたんです。仏教では死体に何の意味も価値も見い出してませんし、バラモン教でも魂は輪廻転生するので死体に意味と価値は在りません。だから、死体から服を頂くんです。そんなこんなで日本の僧さんが着てる紫や黒の袈裟は、ちょっと変なんですよね。

因みに釈迦さんの頃の仏教徒は、この糞掃衣さえも3枚しか持てませんでした。昼用・夜用・予備、の3枚です。そして、ほぼほぼ野宿みたいな暮らしをするわけです。そりゃ、女の人の出家なんか認めれませんよね。女性差別とか、そういう話ではなくてですね。劣悪な環境で女の人を野宿させるなんてどうなの、って話ですよ。でも釈迦さんが認められだすと、偉い人から祇園精舎とかの今で言う寺っぽい所をプレゼントされる様に成ります。すると少なくとも、野宿はしなくて良い訳です。そして女の人の出家も、認められる様に成ったんですよね。

また日本の僧さんは、普通に結婚して妻を持てます。それが、どれだけ位の高い僧さんでもです。妻帯するのは勝手ですが、世界の仏教界から見ると妻帯してる=在家の信者という事です。つまり世界の仏教界的には、妻を持ってる日本の僧さんは出家してない訳です。そりゃスリランカやネパールやチベットとかの僧さんからすれば、日本の仏教なんて相手にする価値なんて無いんですよね。世界的に見て仏教とは、チベット仏教のダライラマさんだとか上座部仏教の偉い僧さんの事を指すんです。だから緩い日本の仏教は、既に仏教でさえない訳です。

実は日本というのは、カルト的な新興宗教団体の多い国なんです。そしてまた、ネットワークビジネスも多い国なんです。信仰の自由、確かにそうでしょう。また戦前・戦後直後の新興宗教なんてな、骨の在る団体が多かった訳ですよ。特に戦争が終わって間も無くは、警察とかの力も弱く日本はボロボロだった訳です。それを立て直す為に、意図的に新興宗教が多く作られたという背景も在ります。この時には、新興宗教だけでなく極道も多く作られました。そして新興宗教同士・極道同士を互いに競わせて、海外の魔の手から日本を護った訳なんです。

でも「最早、戦後ではない」です。多くの新興宗教や極道が、その役を終えつつあります。まぁそれはそれで、世の流れなので已む無しですよね。ただ極道さんなんかは、初めは必要悪として作られた訳です。ルール無用の狂った悪党や海外のマフィアから、私達を護ってくれたんです。また世には、我がの衝動を抑えれない子も居ます。そういう子は、極道か武道が受け入れてくれて真っ当な人に育ててくれた訳です。しかし極道にしても武道にしても新興宗教にしても、今の姿はどうでしょうか。道を極めると書いて極道、がんばって頂きたいですね。

日本では昔、オウム真理教という新興宗教がテロを起こしましたよね。オウム真理教は最早、宗教でも新興宗教でも在りません。唯の、テロリスト集団です。そういった事を鑑みるとですよ、日本の仏教界にもがんばって欲しいですよね。むしろ今こそ、仏教国日本を復活させるべきではないでしょうか。そりゃ確かに、日本の仏教はちょっと変な仏教ですよ。でも日本の仏教には、親鸞さんとか空海さんの教えが在ります。形式ではなく釈迦さんの教えの本質を、キチンと受け継いだ宗派が在る訳ですよ。対機説法を掲げて、がんばって頂きたいですね。

そう言えば、六星占術の細木数子先生も「仏教教育をすべきだ」とか仰られてましたっけ。僕も、そう考えてます。ただし、それは釈迦さんの哲学を教えるものであらねばならないでしょうね。でもそうすると困るのは、現代日本の仏教界という訳です。彼等は、釈迦さんの教え以外の事で金を儲けてる訳ですからね。正しい仏教が広まってもらっては、困る訳です。医療の業界もそうです、病が無くなってもらっては困りますし薬が売れなくなってもらっては困る訳です。いやはや、今の日本は何ともオカシな国に成り果ててしまったという事ですねぇ。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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