Fortune Tarot

今の教育事情に、僕も疎いものでして・・・ただちょっと前に、円周率を3,14から3にするとかしないとかいう話が在ったのを覚えてます。まぁそもそも、3,14でも正しくはない訳です。3,1415926・・・と続いてく訳ですからね。だから、3にしてしまっても何の問題も無いのかもですね。ただ小数点以下を重んじるという事は、私達にとって大事なんですよね。例えるなら「やれなかった」か「ほんのちょっとだけはやれた」の、違いなんです。「やれなかった」はゼロですが「ほんのちょっとだけはやれた」は0,・・・なんです。

物理世界は、足し算と引き算で動いてます。でも情報空間は、掛け算と割り算なんです。だから、ゼロは宜しくないんです。物理空間ならゼロに1を足せば1ですが、情報空間だとゼロに何を掛けてもゼロなんです。つまり自信が無い(ゼロ)人は、どれだけ資格を取ってもどれだけ人から褒められても何の意味も価値も無いんです。顔も心もとてもとてもとてもカワイイ女の子なのに、男を選ぶのが巧くない娘が居ます。それは我がで我がの意味と価値をゼロだと考えてるから、その程度の我がに釣り合う男しか無意識的に目に入らないからなんですね。

私達は裸で生まれてきます・・・が死んだら裸の体さえあの世には持ってけません。外見や体裁ばかりに気を使っても、最期の最後に哀しい思いをするのは我がなんですね。外見も体裁も、仮のものです。ちょっと話が逸れましたが、ゼロは宜しく無いという事です。小数点以下でも良いので、ゼロでないという事が要です。スポーツでも何でも、何かに打ち込んだ事の在る方なら解りますよね。ほんのちょっとずつしか、毎日の様に練習しても成長しません。でもそんな小数点以下のがんばりを腐らずに続けた者だけが、プロと呼ばれる様に成るんです。

とある空手家さんが、こう仰られてました。「空手が巧く成る近道は、鏡を見ながら我がの動きを修正すれば良い。それを何万回、何億回と繰り返すんだ。」気が遠く成る様な反復練習、それこそが上達の近道という訳です。それは、空手に限った事ではないですよね。ただし、与えられた型を繰り返しててはいけません。勿論、初めはそれで良いのですがね。守破離という語も示してる様に、途中からは我がの頭を使って考えながら訓練せねば巧く成れません。だからさっきの空手家さんも1回1回、常に我がの動きを修正すると言ってた訳なんですよ。

結果主義、は良いものじゃありません。もう1度はっきり言います、結果主義は良いものではありません。確かに僕も、プロの占師です。ですから、結果は出さなけば成りません。また結果は誰の目に見ても明らかなので、解り易い物差ですよね。でも単に人から結果だけを見られて評されて、快い人は居ません。赤ちゃんの毎日の成長なんて、それこそ小数点以下です。でもそれを親が認めるからこそ、子はスクスクと体と心が育まれるんです。じゃあ今、直ぐにでも結果主義を辞めましょう。そして結果主義よりレベルの高い、主義で生きましょうよ。

それは、体験主義です。体験こそが、宝なんです。そして体験は、人と比べれません。同じ様な事を体験しても、何を感じるかは人それぞれです。でも体験は、神さんじゃありません。だから我がの体感を、人に強いてはいけません。体感主義ではないんです、体験主義なんです。私の体験も人の体験も、尊び合うんです。そして互いの役に立つなら、互いの体験をシェアし合えば良いのです。宇宙は1つではないんです、1人1宇宙を持ってるんです。そしてそれぞれの宇宙は、決して交わらないんですね。どれだけ互いに、愛し合ったとしてもですよ。

でも僕等の様な職に就いてる者は、そうはいきません。だから、人を理解するんです。理解は、宇宙の壁さえも超えるんです。それを言い換えると、人の立場を取るという事です。何で人の悩みを一生懸命に聴くのか・・・それは明日は我が身だからです。とまぁ今回は、色んな事を書きましたね。先ずは『小数点以下を認めるという事』と、後は『結果主義より体験主義』ですね。そして『相手を理解する=相手の立場を取る』まぁ、これ位ですね。最後に、友について書きます。友の定義は言い難い事を言ってくれる事と、無茶を聞いてくれる事です。

A「さて、そろそろ昼やな。」B「お!飯に行くかい?」A「良いねぇ、行こう。」B「じゃ、何を食べたい?」A「う〜ん・・・蕎麦かなぁ」B「オッケー、ほなちょっと待ってて!」(何処かへ、走ってく。)A「あれれ?何処へ行くの?」・・・Bさんは急いで、何処へ行ってしまったのでしょうか。答えは、旨い蕎麦屋を探しに行ったんです。訳は解りますよね、友の為です。これは喩え話なので、ちょっと無理が在りますね(笑)友の定義は言い難い事を言ってくれる事と無茶を聞いてくれる事、そして我がより重んじてくれるという事ですね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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