梵 我 一 如

Fortune Tarot

アートマンとは、点の事です。そしてこのアートマンという点は、永続的なものなんです。アートマンの対を、ブラフマンと言います。ブラフマンもまた、点といえば点でしょうかね。アートマンもブラフマンも、バラモン教の考えです。バラモン教は、ヒンズー教の前身みたいな宗教です。アートマンが小さな我れで、ブラフマンが大きな我れです。アートマンがミクロコスモで、ブラフマンがマクロコスモ。アートマンが個人で、ブラフマンが宇宙。そして「大きなブラフマンと小さなブラフマンは、同じなんだよ」ってのが梵我一如という考えです。

それに対して仏教の開祖の釈迦さんは「大きい小さいに関わらず、そもそも我れなんてもん無いから」と言った訳です。私達が我れだと考えてるものは、縁起の中から生まれた実体の無いものなんです。縁起とは、人や物や事同士の関わりの事ですね。関わりという実体の無いものの方が私達の本質なんだから、我れなんて在る訳が無いじゃないか。と、これが釈迦さんの考えです。つまり釈迦さんは、点(我れ)を否定した訳です。それはつまり、滅びないものなんて何も無いと言ったんです。勿論、それは個人から宇宙に至るまでの全てのものがです。

点は在るのか無いのかという論争は、この頃に成って最先端科学が解き明かしました。答えから言うと、点は無かったんです。それはクルトゲーデルさんとグレゴリーチャイティンさんが不完全性定理で、そしてヴェルナーハイゼンベルクさんが不確定性原理で。ちょっと前の20世紀の内に、導き出しちゃった訳です。流石、釈迦さん。約2600年も前に、この事に気が付いてた訳ですね。だからこそ釈迦さんは、輪廻転生をハッキリ否定してました。という事は点は在ると言ってたバラモン教の皆さんにとっては、輪廻転生はバッチリ在った訳です。

実は永遠に不滅ではないにしても、永続的っぽいものが在るんです。それが、ホメオスタシスです。ホメオスタシスとは恒常性維持機能の事で、要は現状維持メカニズムの事です。私達の体温は外界の気温が上がり下がりしても、概ね一定に保たれてます。それはホメオスタシスの持つフィードバック機能で体内の温度の情報と外界の気温の情報がやり取りされ、ホメオスタシスが外界の気温の変化に応じて体内の温度をコントロールしてるからです。そして脳の進化から、人のホメオスタシスフィードバックは物理空間だけでなく情報空間にも及んでます。

だから私達は映画の爆破シーンに息を飲み、感動的な小説に涙するんです。この様にホメオスタシスが情報空間にまで広がってるという事は、我がが死んでも我がのホメオスタシスは残るという事です。体って物理的な物ですから、その体が物理的に死んでもホメオスタシスはフィードバックを続けるんです。で、このホメオスタシスを点だと考えればバラモン教の教えも誤りではないのかもしれませんね。ただし私達の多くがイメージする輪廻転生とは、かなり違いますよね。そしてホメオスタシスも、永遠に滅びないかと言われれば怪しいもんです。

因みに今の科学では、異星人さんなんかは体を持ってなくてホメオスタシスな状態と考えられてます。どれだけ科学が進歩してようと、やはり地球まで来るには永い時を費やさねばならないんです。でもホメオスタシスな状態なら物理的な時なんかにゃ縛られないので、どれだけ掛かってもヘッチャラです。そして地球まで来たら、地球の環境をフィードバック機能を使って調べて地球の環境で生きれる体をゼロから作れば良いんです。それもまた永い時が要りますが、さっきも書いた様にホメオスタシスな状態なら何の問題も無いという訳なんですよね。

因みに地球さんの隣の火星さんに、生き物が生きてた跡が在るとか言われてますよね。もしかしたら異星人さんは、初めは火星に引っ越してきたんじゃないでしょうか。でも何らかの已む終えない事情が在って、火星から地球に更に引っ越した。だから火星に、生物の痕跡が残ってるのかもですね。こう考えてくとですよ、神さんもまたホメオスタシスな状態の方なんじゃないかなと僕は考えてます。神さんもホメオスタシスな状態の異星人さんも、時や場という物理的な制約に囚われない存在。明らかに、体を持ってる私達を超越した存在なのですから。

でも、それでも釈迦さんは訴え続けます。「全ては縁起の紡ぎし仮のもの、世に絶対的なものなど無し。」神さんをホメオスタシスな状態の方だとするなら、神さんさえも不滅ではない訳ですね。神さんは居ません、されどプリンシプルは在ります。プリンシプルとは、原理原則の事です。そしてその不滅のプリンシプルは物理的にも情報的にも矛盾を含んでる事が、不完全性定理と不確定性原理で解ってます。要は、世は理不尽と不条理と不理解で作られてるんです。それでも私達は、人を喜ばせながら我がも樂しみつつ生きねば成らないという事です。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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