貴族

Fortune Tarot

格差社会とか、言われてる今の世ですが・・・今の日本に於いて、餓死するなんて事は殆ど在りません。それこそ、犯罪に巻き込まれでもしない限りはですよ。それはつまり、今の日本に住む全ての人は貴族なんです。少なくとも発展途上国に生まれ育ち暮らしてる人に比べれば、私達の生活の水準は高いでしょう。日本にはセーフティネットとしての、生活保護も在ります。それを不正に受給する人が居るから、問題に成ってるだけです。年金や保険の制度も、在る訳ですよ。まぁこちらも色んな問題が起きてますが、制度自体は良いものなんですよね。

セーフティーネットという語が出たので、破産や清算についても書きます。破産も清算も、法で認められたものです。だから何も、恥じる事は無いのです。確かに金は返すに越した事は在りませんし、そもそも金は借りないに越した事は在りません。特に日本は、金の貸し借りに嫌悪感を抱く人が多いでしょう。でもそれを恐れて独立起業しないのは、とてももったいないのです。だって、今の日本は資本主義国家なのですからね。商いをするなら、金は多い方が良い訳です。金は、銃の弾みたいなもの。戦をするなら、弾は多い方が良いに決まってます。

因みに銀行から金を借りるのは、デューデリジェンス。つまり企業の計画を聞いて、銀行が「それならこれ位は貸せる」という判断の元に金を貸す訳です。それで企業が計画を失敗して金を返せなかったとしても、それは判断を誤った銀行が悪いんです。それに銀行は何も無い所から金を生み出し、その金を私達に貸す訳です。銀行は、今の世に蘇った錬金術師という訳なんです。今の世で、我がの金だけを使って真っ当に貸金業務をしてるのはサラ金さんだけですよね。だからサラ金さんから借りた金を踏み倒すのは、罪悪感を感じてしまうかもですね。

皆さん、競争って好きですか?因みに、僕は嫌いです。でも、こう仰られる人も居られます。「競い合うから、人はがんばれるんだ。」まぁ、一理は在るでしょう。確かに我がと力が同じ位のライバルが居ると、切磋琢磨して張り合っちゃいますよね。戦争が起こる事で、科学技術がグンッと進歩するのも事実でしょうし。でも私達は、貴族なんです。競わねばがんばれぬというのは、何とも貴族っぽくないですよね。そもそも、我がの決めたゴールに辿り着く為に人はがんばるんです。つまり、自己満足。でも、人の役に立つ為という自己満足ですよね。

オリンピック、2020年には東京で開かれるそうです。でも今の世でオリンピックが、スポーツマンシップに則ったスポーツの祭典だと考えてる人は居ないでしょう。国益どころか、企業の利権に塗れてます。ただスポーツを樂しむのは、何にも悪い事ではありません。でもオリンピックは、違います。古のローマのコロッセオと同じく、奴隷の祭典です。まぁ血が流れない分、穏やかなのかもしれませんがね。「私の首輪は銀色です」「俺の首輪は金色だ」と、我がの首に鎖で繋がれた首輪の色を競い合うという、何とも虚しいドンチャン騒ぎですね。

スポーツは、樂しむ為にやるんです。勝つか負けるかなんて、どうでも良いんです。と言うか、勝ちから学べる事って何も無いんです。人は、負けからしか学べないんです。それは、学習という語の意味からも解ります。学習とは失敗と、その失敗を経て軌道修正する事を意味します。つまり、負ける事が要なんです。そして私達は貴族ですから、より良く負けねば成りません(笑)例えば料理人さんなんか、金を貰ってるとは言え赤の他人の飯を作ってる訳です。家族でもない人の分の飯まで作るのは、考え様に縁っては負けてると言えちゃう訳ですよ。

じゃあ慈善事業で、話した事も逢った事も名も知らぬ他の国の子の為に募金するなんて・・・そりゃあもう、大敗北ですよ。でもそれこそが、貴族です。じゃあ何で貴族は負けれるかと言えば、それは貴族には余裕が在るからです。金でも時でも、余ってるという事が豊かさの証です。そして貴族は、自立してますよね。自立とは、誰かを依存させてあげれるという事です。依存は、決して悪いものでは在りません。依存が悪いものなら、全ての赤ちゃんを牢に入れるべきでしょう。ただ度が過ぎた依存は宜しくないですよ、というだけの話なんですよね。

度が過ぎれば、自立も宜しくないです。過度に自立した人は、人を頼れません。そして人を責め、終いにゃ独りぼっちに陥ります。そもそも、過度って状態には余裕を感じませんよね。何でも、ほどほどが良いんです。因みに釈迦さんが唱えた正しさは、このほどほどの事だったりします。世なんて、虚しいもんですよ。でも敢えて、一生懸命に生きるんです。幼い頃は、誰しも無我夢中で遊び回ってましたよね。でも所詮、遊びは遊びなんです。ムキに成っちゃ、いけません。その辺のバランスを整えながら生きるのが、余裕を持った貴族なんでしょう。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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