5つの欲求と5つの感情、4つの身分と1つの自由。

Fortune Tarot

マズローの5段階欲求、って御存知ですか?心理学者のアブラハムマズローさんが言うには、人は自己実現の為に絶えず成長発展進化するものであると。そしてアブラハムマズローさんは、人の欲を5段階に分けたんです。1つ目は、生理的な欲求。2つ目は、安全的な欲求。3つ目は、社会的な欲求。4つ目は、尊厳的な欲求。5つ目は、自己実現的な欲求。まぁ5つ目は、自己実現そのものとも言えますかね。そしてこれ等は、5つの感情に言い換えれます。快い・嬉しい・樂しむ・爽やか・誇らしい、の5つです。ではでは、1つ1つ書いてきます。

生理的な欲求・快い・・・人には、三大欲求というものが在ります。睡眠欲・食欲・性欲、の3つですね。こればっかりは、獣の頃から私達に備わってるものです。ですからこの3つの欲は、今の所は消せません。そもそも寝なかったり食べなかったりすると死にますし、生殖行為をしなければ種が滅びます。だからむしろ、この3つの欲は必要不可欠です。ただ度が過ぎて強く成ると、それは問題です。だって獣さえ、これ等をコントロールしてる訳ですから。これ等と適当・適度に関わり満たしとけば生理的な欲求は満たされ、快いという訳なんです。

安全的な欲求・嬉しい・・・衣食住、という考えが在ります。衣服・食事・住居、の3つですね。これ等は、生理的な欲求に比べれば、レベルの高い事ですよね。でもまぁ、獣さんだって飯は食いますし巣に住みますからね。安全的な欲求も生理的な欲求も、生き死にに関わる欲です。ただ人は、ただ体温調節の為だけに服を着る訳では在りません。ただ腹を満たす為だけに飯を食う訳でも無いし、厳しい環境から身を守る為だけに家に住む訳も無い訳です。安心感を得る為に衣食住を整え満たしとけば安全的な欲求は満たされ、嬉しいという訳なんです。

社会的な欲求・樂しむ・・・人は、人の中でしか生きてけません。誰とも関わらずに生きてくなんて、不可能なんです。社会には、実体が在りません。人と人の繋がり、縁が集まって作られてるんです。そしてこの縁こそが、私達の本質です。縁と縁の結び目、それが集まったのが個人なんですね。縁という1枚1枚の皮の集合体が、私達1人1人の個人という玉葱なんです。むしろ樂しむとは、関わるという事。だから楽しいという形容詞ではなく、樂しむという動詞なんですね。人と関わってれば社会的な欲求は満たされ、樂しめるという訳なんです。

尊厳的な欲求・爽やか・・・皆さんは、どんな時に心の爽やかを感じますか?例えば、人から褒められた時や人から認められた時は爽やかさを感じますよね。人から褒められて認められるという事は、人と関わってる事は前提です。つまり生理的・安全的・社会的な欲求が満たされて初めて、尊厳的な欲求に気が付ける訳です。人から褒められたり人から認められる為には、人の役に立たねば成りません。ただ皆と遊んでれば良いという訳では、ないんですね。社会貢献的なゴールを決めた時に尊厳的な欲求は満たされ、爽やかに成れるという訳なんです。

自己実現的な欲求・誇らしい・・・これだけは、他の4つの欲求とは違います。他の欲求が『足りないから我がに補う欲』なら、この欲は『満たされてるから人に施す欲』です。読んで字の如くの自己実現なら、尊厳的な欲求で事は足ります。私達の真のゴール(自己実現)は、人を喜ばす事です。人は獣と違い、人から喜ばれたり感謝されると幸福感を感じます。そしてそれは、三大欲求と同じレベルの強い欲求なんですね。それこそが、私達が知的生命体である証です。人の役に立った時に自己実現的な欲求は満たされ、誇らしいという訳なんですね。

カースト制、って御存知ですか?古くからインドに残る、差別的身分制度です。下から、スードラ(奴隷)・バイシャ(平民)・クシャトリア(貴族)・バラモン(司祭)です。実はカースト制とマズローの5段階欲求には、深い関わりが在ります。スードラが求めるのは快さで、バイシャが求めるのは嬉しさなんです。クシャトリアが求めるのは爽やかさで、バラモンが求めるのは誇らしさなんです。この中に、樂しむは入ってませんね。つまり樂しめば、差別から抜けれるんです。樂しむとは関わる、でしたね。全ての人と樂しめば、差別は消えます。

バイシャは中途半端で、クシャトリアは体裁ばかりを気にします。そして最も下のスードラと最も上のバラモンは、同じです。どちらも、嘘つきなんです。スードラだから悪くてバラモンだから良い、ではないんです。とどの詰まりは、同じ穴の狢なんです。樂しむ事だけが、この輪廻から解脱する唯一の方法です。だから楽しいではなく、樂しむなんですね。釈迦さんはクシャトリアから出家してバラモンに成りましたが、後にどんな身分の人でも出家してバラモンに成れる様にしました。釈迦さんは樂しむという事を、よくよく解ってたみたいですね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)