イエスさんと、キリスト教。

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釈迦さんが天才なら、イエスさんはメッセンジャーです。それも、宇宙からのメッセンジャーです。そして占師をやらせて頂いてる僕にとっては、こう在りたいと望むモデルの1人です。宗教家としてのイエスさんには、色んな話が残ってます。でも歴史学者さんからすれば、イエスさんは神さんの子でも超能力者でもありません。イエスさんは、何もやらなかった人。でも彼は、道で泣いてる童が泣き止むまで共に居ました。道で泣いてる女が泣き止むまで、ずっと隣に座ってました。二人と書いて『仁』僕もイエスさんの様に、仁の人で在りたいです。

イエスさんと言えば、キリスト教です。キリスト教には、大前提が在ります。それは、神さんと人の間には越えれない壁(溝)が在るという事です。つまり、人は神さんの事を完全に理解する事など不可能だという訳です。むしろ人は、神さんの事を解らなくても良い訳です。神さんを試してはならない、神さんを疑ってはならないです。人にとって神さんとは、とにかく受け入れるものなんです。それも100受け入れるか100受け入れないかという、ゼロor100という話なんです。これは人に縁っては、とてもとてもハードルが高い事ですよね。

因みに、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の神さんは同じです。ユダヤ教の聖典は、旧約聖書とタルムード。キリスト教の聖典は、旧約聖書と新約聖書。イスラム教の聖典は、旧約聖書とコーラン。とまぁ、根は同じ訳です。そして、これ等の宗教の本質は「初めに言葉ありき」です。確かに、宇宙は音から始まってるんです。音が光を生み、光が物を生んだんです。生まれたての赤ちゃんの瞳には、光のタペストリーしか映ってません。だから赤ちゃんの瞳は、キラキラと煌めいてるんです。その光の1枚絵を、音で切り取って物を認識してくんです。

でもこの「初めに言葉ありき」の「言葉」を、私達が使う言葉と同じと捉えて良いのでしょうか。さっきも書きましたが、人と神さんの間には隔たりが在るんです。同じ言葉と捉えるのは、宜しくないでしょう。神さんの使う「言葉」それは「概念」と考えた方が、解り易いでしょう。ユダヤ教の神さんは、ヤハウェさんと言います。でもヘブライ語は子音しか書かないので、ヤハウェさんと呼ばれてたのかは本当の所は解りません。エホバさんだっかかもしれませんし、別の読み方だったかもしれません。神さんの名は、それだけ尊いものだったんです。

ユダヤ教の教会に行くと、蝋燭台位しか置いてありません。それ位、徹底的に偶像崇拝を禁じてる訳です。そんなユダヤ教徒さんが、神さんの名を軽く読んだり書いたりする訳が無いんですよね。そんな一般人には畏れ多い神さんの言を、解り易く民に伝えてくれた人が居た訳です。それが、イエスさんという訳です。そしてイエスさんが説いた神さんの言は、新約聖書として纏められました。因みに仏教には、神さんの言は在りません。だって、そもそも神さんが居ませんからね。そういった点では仏教は宗教とは呼べませんから、仏教は哲学なんです。

キリスト教は一神教ではなく、汎神教です。汎神とは、凡ゆるものに神さんが宿ってるという事です。だから「神(さん)は細部に宿る」と、キリスト教では言われてますね。宗教も初めの方は、多神教だったのでしょう。そんな中で勝ち残ったのが、キリスト教とかなんですね。その時点では、一神教です。多神教から一神教という流れという事は、一神教とは言え他に神さんは居るんです。さっきも書きましたが、勝ち残っただけなんです。「ウチの神さんを信じた方が得だよ」と、そういう事です。要は、一神教の神さんは妬む神さんという事です。

一神教がレベルアップして、汎神教に成りました。汎神教では、『一』と『多』に差は在りません。個は全、全は個みたいなもんです。個は全で全は個なら、そもそも一とか多とか数えるのは無意味です。銀行って、他の銀行へも金を振り込めますよね。でも銀行は、それぞれ違うシステムで動いてる筈なんです。でも利用者の私達にとってはどうでも良くて、そんな事を考えなくても普通に他の銀行へも金を送れますよね。この様な銀行のシステムは、一でしょうか多でしょうか?その答えは『そもそも、そんな事を考える意味も価値も無い』ですよね。

ただし神さんというシステムは、完璧ではありません。それは、クルトゲーデルさんが不完全定理で証明しました。サブシステム同士の、矛盾の無いシステムなど無いんです。でも、破綻しないのが21世紀のシステムです。イエスさんは仰られました「初めに神さんという概念が在ります。神学や科学はそれを支えるサブシステムに過ぎませんよ」そして神さんの言葉は聖書に書かれてる訳です。キリスト教の神さんが汎神なら、私達にやれる事は神さんへの絶対的な帰依だけです。つまり神さんを心の底から信じ切り、ただただ身を委ねる事だけです。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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