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Fortune Tarot

医者の不養生という、諺が在ります。まぁ、意味は解りますよね。確かに、病気に罹ってる医者に健康の事を言われても説得力なんて無いですよね。でもだからって、その言ってる事が誤りかと言われれば何とも言い難いです。それはそれ、これはこれ。誰が言おうと、正しいもんは正しいんです。それはまた、別問題ですよね。もし世に絶対的に正しい事が在るとするなら、まぁそれは物理法則でしょうか。でも物理法則もまた物理学の進歩と共に、新たな発見が在ったりするのはザラですからね。だから、その辺は何とも言えない所なのでしょうがね。

占師は我がの事を棚に上げて、クライアントさんに物を言います。例えば、占師が恋愛の経験が無かったとしてもクライアントさんの恋愛相談には乗らねばなりません。ま、それが仕事ですからね。例えば、我が子が盗みを働いて親が警察に呼ばれました。そこで親が「私も昔、盗みを働いた事が在る。だから私は、子を叱れない。」では、困る訳ですよ。いや、そこは我がの事を棚に上げて子を叱れよ。って、話です。占師は我がが恋人に振られて辛い時でも、クライアントさんの惚気話を我がの事の様に喜んで聴かねばなりません。それが、仕事です。

我がを尊ぶ、それは当たり前です。我がを尊んだ上で、我がを棚に上げるんです。それは、我がを無視するという事です。これは、我がを大事にしてる人にしかやれません。利他、とも言い換えれますかね。我がの煩悩を、脇に置くんです。とは言え、煩悩も使い方です。と言うか、方向性です。誰かに、惚れましたよ。まぁ、告るのは良いですよ。で、付き合えれば良し。でも付き合えなかった時にストーカーに成る様では、もう煩悩の虜です。付き合えなければ、その人が振り向いてくれる様な我がに成れば良いだけの事です。シンプルな、話ですね。

煩悩も慾も、まぁ望みですからね。蓋をして見ない様にするのは、如何なもんでしょ。はっきり言って、煩悩もオッケーなんです。だって、煩悩がゴールを見い出すヒントに成ります。そしてそこから、どう動くかですよね。趣味なんて、誰の役に立たないもんと決まってます(笑)ともすれば、ほんのちょっとだけでも周りに迷惑を掛ける事かもしれません。それでも私達は、やりたい事をやるんです。勿論、自己責任で。その先に、もしかしたら次のステージが待ってるかもです。趣味を続けてたら、それが何時しか仕事に成ったなんて話も在ります。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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