き く あ

Fortune Tarot

人に優劣を付けては、いけません。但し、レベルの高い低いは在りますよね。生まれ付き、早く走れる才を持ってる子が居たとしましょう。でもその子は、全く何も走る訓練はしてない訳です。片や、大して早く走る才を持ってない子が居たとしましょう。でもその子は、毎日の様に走る訓練をしてます。この2人が駆けっこをしたら、才は無くても訓練してる子が勝ちますよね。レベルが高い低いって、そういう事なんです。でも、ただそれだけの事なんです。じゃあ訓練すれば良いし、別にしなくても良いんです。優劣とは、何の関わりも在りません。

人に優劣を付けては、いけません。だからオリンピックなんて、最低最悪です。あれは、奴隷の祭典です。奴隷が「僕の首輪は金色だ」とか「私の首輪は銀色だ」とか、そんな事を比べっこしてるんです。勿論、スポーツ自体は悪い事ではありません。そしてスポーツには、必ず勝ち負けが在ります。でも勝ったから優れてる訳ではありませんし、負けたから劣ってる訳ではありません。ルール上そうなってるだけですし、それが無かったらそもそも成り立たないじゃないですか。でも繰り返しますが、その結果で優劣なんて絶対に決まらない訳ですよね。

だからといって駆けっこでゴールする時に、皆で手を繋いで皆で共にゴールなんてのは愚の骨頂ですがね(笑)所詮、スポーツなんてスポーツに過ぎないんです。スポーツで心を磨く人も居ますし、確かに心も磨けます。でもスポーツ選手とか元プロスポーツ選手とかでも、おかしな罪を犯す事も在る訳じゃないですか。だったらスポーツは遊び、位に考えてた方が良い訳ですよ。遊びなんだから、目の色を換える程やらなくても良いんです。運動部で部員に体罰を加える顧問なんかは色んな点で暇な人であり、色んな点で至らない人という事なんですね。

人は皆、平等です。生まれたばかりの赤ちゃんからアメリカ合衆国の大統領まで、人は平等です。それを『魂は平等』とか言うなら、魂という概念も捨てたものではないのですが・・・魂のレベルで人に優劣を付けるのが好きな方が、未だ世には多い様で・・・魂が差別を呼ぶものであるのならば、僕は魂を否定します。まぁ僕が否定しようがしまいが、科学的には魂なんて在りません。でも霊能者さんの多くにとっては、魂は在るんですよね。どっちでも良いんです、そんなのは。繰り返しますが、大事なのは魂が差別を生むか否かという事なんですね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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