人生で1番辛かった時の話

Fortune Tarot

あくまでも私自身の体験です

こんにちは。
ヒプノセラピー体験第三弾!
今回は、人生で1番辛かった時の話です。

1番最低な自分を生きていた頃の話なので、客観的な自分についての考察になります。

誰かを責めるとか、批判するつもりはありませんし、伝えたいのはそういった内容ではないことを予めご了承ください。

むしろ自分の馬鹿さをさらけ出すくらいの話です。

こんなことを書いて誰が得をするのかといえば、
この話を読んで「自分は大丈夫だと思えた」とか「ダメなことの参考になった」とか、
「馬鹿だなぁ」と鼻で笑っていただけたとか、
もしもそんな方がいらっしゃるとするならば、
それはそれでとても嬉しいことです。

1番辛かった自分のもとへGO!

さてさて、今の人生での退行催眠(ヒプノセラピー)の中で、
『今までの人生で1番辛かった時の自分に戻ってみましょうか』
との誘導がありまして…

え〜っと?いつの自分が1番辛かったんだっけ?と思いながら、
時間を巻き戻っていくと…

目の前に現れたのは意外なことに
20歳くらいの頃の自分でした。
もしかしたら、21になっていたかもしれません。
なんとなくその辺りの自分です。

その時の自分とは、完全に自分の意思を放棄していて、
取り繕うことばかりに自分の気を回していて、
考えることや行動することを諦めた状態の人でした。
利用されることや犠牲になることに抵抗がないというか、おかしくなってる感じで。

容姿は今よりもずいぶん痩せこけていて、髪は短くパサパサで、化粧っ気もなく。
今の自分よりもなんだか老けて見えて。まるで表情を失くしたピエロみたい(笑)。

何かに依存していた、のか、依存されていた、のか、
今となっては分かりません。

その時の自分の生き方としては、
とにかく父や母をはじめ周りの人には、
今までと変わらない自分を見せ続けなければならない。

彼らの心配事の中に、私を入れてはならない。

結婚したのだから、何があっても今の家族に当たり前に尽くさなくてはならない。

常に良いお嫁さん、女将さんでいなくてはならない。

しかし、そう思えば思うほど、身体がズッシリ重たくなっていって。
なかなか思うように動けなくなっていったのです。

もがけばもがくほど沈んでいくような。

たとえばある時は、真っ暗な部屋の中で、
1日中同じ場所に座り込んでしまっていた自分に、ふと我に返ってハッとしたり。
時計の針は普段と何も変わらず進んでいるのに、
私の時間だけが止まっていたような錯覚を覚えたり。

私の存在が消えてなくなっても、こんな風に世界は何も変わらないのだということに呆然としつつ、
1日を無駄に過ごしてしまった自分はなんとダメな人間で、存在価値が無いことかと嘆いていました。

本当に、意欲を持って日常のことに取り組むことができなくなってきている自分に罪悪感を覚えるばかりで。

常にそのことについてぼんやりと、甘ったれている自分が悪い、何もかも自分のせいだと思っていました。

そして、どうしてこんな風になってしまったかを考えてみると、
私って幼い頃からたぶん、
素直にツライとか、イヤだとか、ムリだとか、シンドイとか言えない人でした。

顔色をうかがって感情を決めるのが当たり前になっていて。

本当の気持ちを言っても無駄、茶化されたり信用して貰えないだろうと思い込んでいたし、
弱音を吐いてばかりいると『あいつはダメだ』『期待できん』と陰でささやかれそうで怖かったのです。

きっと常日頃から、表と裏で言っていることが違う大人たちの印象が強すぎて、どこか身近な大人を信頼できていなかった自分がいたからだと思います。

どうして陰ではあんなこと言うのにこんなに普通にしていられるの?とか。彼らが私に言っていることは嘘なの?本当なの??とか。

そう思っているにも関わらず、
誰かの悩みをまるで自分のことの様に聞き入れて、
その人に同調すること(一緒に泣いてあげること)が私の役目だと思い込んでいました。

これってダメなやつですよね(笑)
助けたいなら同じところで泣いちゃダメなんです。
何も解決しないから。

本心では「もういい加減にしてよ!こんなに必死に相談に乗ってあげてるのに何も変わらないし本当は変えようとも思ってないでしょ?私をなんだと思っているの?愚痴の掃き溜め?」とか思っていても絶対に言えなかったし、
そんなことを思ってしまう自分の方がもっと最低だと思っていました。

どんなにしんどくても(笑)
とにかく平静を装って誰かの相手をし続けるバカな自分がいました。

どうせ誰かに言っても、所詮その人からすれば他人事だろうし、
否定されるか、そんなもんだよとか、気のせいとか、我慢が足りないんじゃないかとか、頑張れとか無責任なことを言われてがっかりするだけ。

たぶんこの、
私にも分からない私の気持ちは理解されないし、
理解されたとして、『だったらなんで自分でその選択をしたの?自分で決めたことでしょ?』と責められそうだし、だったら言わない方がまだましだし。

そしてもっとやっかいなのは
「てっきり幸せに暮らしていると思っていたのに・・・」と言われること。
きっと幸せそうに見えるということは、
本当はそう悪くない環境だったのかもしれないけれど、感じ方は人それぞれ。

もしもそこから逃げ出そうものなら、
間違いなく(誰かにとっての)世間体が1番に来て、
それを目の当たりにすると、
追い打ちをかけられるように余計にがっかりするのは、
結局のところ自分の方だと思い込んでいたから。

仕事に関しても、新しいことにチャレンジせずに無理だと思い込んで、楽だと思われた方へ逃げた自分を悔やんでいました。

結果的に、
本当に何も考えていなかった自分に絶望していました。

人のことばかり気にして、自分をよく見せることにこだわって、結果、陥っている今の状況を受け入れたくない自分と、

放っておいても勝手に鼓動を続ける身体の内側とのギャップにも、また絶望感を覚えていて。

そのうちご飯を食べることにも興味をなくして、
身の回りのことや、家事をすることもやっとこさ。

どこにいても、何をしていても楽しめなくて。

楽しむことをどこかに置き忘れてしまっていて。

感じることを自分からやめていたのだと思います。

だってホントの自分と向き合うのは辛いしイヤだから。

そんなことばかりやっていると、
自分に正直ではない、
せっかくの自分の人生を粗末に扱う私に、
当たり前ですが神さまの祝福や革命が訪れることはなく。

誰かが私を幸せにしてくれると勘違いしていた自分にも、どこかで絶望していました。

自分の幸せは自分の責任でつくるものですよね。

それを『他人に委ねた方が良い』と勝手に勘違いしていたことがそもそものシクジリだったのだと痛感していました。

でも、動機やきっかけはどうあれ、
結果的にそれを選んだのは自分、手放さないことを選んでいるのも自分なのですから仕方ありません。

そうこうしているうちに、今度は出産・育児書の脅迫に怯える毎日となり(笑)

肥ってはいけない、貧血になってはいけないと、グラフや検査結果、体重計を何度も確認し、
そんなことにばかりこだわって過ごす毎日。

1日に、鉄分入りウエハース数枚しか食べれなかったり(笑)
生きる気力はもはや無いのに、それでも普通に元気なふりをする…

産婦人科の検診でめそめそしていると、
『お母さんがそんなんじゃ、今から子育てなんてできないわよ!』と看護師さんから言われたことも思い出しました。

※世の中の看護師さん、こんなこと弱ってる人に絶対に言わないで欲しいです(笑)もう二度とそこには行きたくないし紹介もしませんけど。

限界を覚えた日のコト

そういうのが続くと、当たり前ですが限界がきます。

なんでなのか分からないけど、プツンと。

もしかしたら、洗濯できずにベランダに放置してあるタオルから異臭がしたからかもしれないし、
洗わずに洗い桶の中に放置した食器類が、浮いた油で淀んで見えたからかもしれない。
どこからか、コバエがたくさん出てきて、こちらのことも構わず、ブンブン飛んでいたからかもしれません。

きっかけはなんであれ、消えたくなったのです。

誰にも期待したくない。自分にも期待できない。

みんなに迷惑を掛けたくない。
私の記憶をみんなの中から消し去りたい。

ひとまず、最後だからと久しぶりにきちんとご飯を作り、
家族のためにお風呂も沸かしておいて、それから家を出ました。

特に行くあてもなく、
南へ。

堀切峠に差し掛かった時、
見えたんです。

ものすごく個性的な車に乗ってたむろしている同じ年くらいの若者たちが。
もしかしたらそれを見て笑う人もいるかもしれない。
もしかしたら何やってるんだ!と怒る人がいるかもしれない。
理解してもらえないこともあるかもしれない。
それでもみなすごく楽しそうに見えたのです。

私が自分を遠ざけているこの瞬間にも、好きなことをやって自分を生きている人たちがそこにいて。

私が悩んでいたって、当たり前だけど誰も分からないし何も変わらない。

そしたらなんだかバカらしくなってきて。

たぶん、死ぬ気なんて最初からなかったんだけど。

もう、いっか。

普通に帰宅して、それからは割りと普通に過ごしました。

もう自分で決めたんだから、
これを貫こうと(笑)

現在の自分とご対面!

で、客観的に今の私が、その頃の私に会いに行くというのが今回のヒプノセラピー。

その時の自分を感じてみたり、互いにいろんな思いを伝えたりするのですが。

今の私からは

『結局、いつかそれがあなたの価値になるんだから、
無理しなくて良いから、もうそのままの自分で良いよ。』

と言うしかなく(笑)

『無理して嫌いなものを好きになろうとしなくても良い。そういうことを考えちゃいけないとか、そういう自分ダメとか思わないで。家族だからとか親子だからとかいう理由で、すべてを無理に受け入れてうまく仲を取り持っていかなくてはならないとかないからね。家族のルールに背いてはならないとか、親に絶対に従わなくてはならないなんてそもそもないから。どんなに偉い人だって人格が素晴らしいとは限らないんだから。あなたがいる世界をすべてだと思っちゃいけない。』

こんな風にいろんな言葉が出てきたけれど、
その頃の私にはまだ分からないので(笑)
だからそのままで良いと思ったのです。

『ほら、私を見てよ。10年以上経つと今よりもすごく元気になるから。むしろ若返って見えるから(笑)もっと楽しく自分らしく生きられるようになるから。それもこれも、辛い経験があったからこそなのだから、がんばらなくていい。腐っちゃだめだよ。ありがとう。』

そろそろお別れの時間だということで、
私をギュッと抱きしめたんだけど、
若いころの私、細っ!ガリガリやん。
しかも、『行かないで』だの『どうしたらいいの?』だの『置いてかないで』だのなんだの泣きじゃくられて…子どもかっ(笑)!

若いころの私がアラフォーの私に泣きながらしがみついているという滑稽な図(笑)

仕方がないので、取り急ぎ催眠に入る最初の段階でイメージとして浮かんだ、自分にとって自由を感じる場所まで無理やり引っ張って行きました。

「あなたに足りないものはたぶんこれでしょ?」と。

短い時間でしたが、彼女と寝転がってしばらく空を眺めていると・・・
いつのまにか布団ですやすや寝息を立てて眠っている20歳くらいの自分が見えました。

あぁ、こうして見ると、この時の自分も悪くないなぁと愛しく思いつつ。

そっとそこから離れたのでした。

でも、今の自分は不思議なことに、
そんな時代のことなんてすっかり忘れていたのです。

それなのに、当時着ていた服から顔の表情、体調、当時の室内の雰囲気まで五感で鮮明に思い出せた自分に衝撃でした。

あの頃の私を一言でいうならば、
典型的な「狭い世界で自分を明後日な方向に制限して生きている人」(今も時折そうかもしれませんが)。

でもそんな自分で居てくれてよかった。
あの頃の自分がいたから、今の自分があることに変わりはないから。

いやぁ、ものすごいものを見てしまいました。
本当にあの頃の自分ごめんなさい。
そして、いろんな自分があってよいのだと今なら思えます。

とりとめのない話になりましたが、
今まで生きてきて1番辛かった時の自分の話、でした。

Fortuneの店主として、タロット占いを行っている藤井裕子です。 選べるハーブティーと、私手作りの小さな焼き菓子をお楽しみいただきながら、ゆっくりお話をうかがっています。 日常から離れた心地良い空間で、日頃の不安やストレス、緊張で凝り固まった心を定期的にメンテナンスされてみてはいかがでしょうか? あなたの未来に良い変化が起こせますように、そのきっかけづくりにお役立てください。私ができることでサポートいたします。 ささいなお悩みでも構いません。ぜひ一度足をお運びください。

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