先ず言い訳から、密教と空海さんの話。

Fortune Tarot

我れながら、ブログを書いてて思ふ事が在ります。それは「俺のブログって、時に矛盾した事を書いてるな」って事です。まぁ同じ様な事を繰り返し書くのは、許して下さい(笑)でも例えば神さんは居るって書いたり神さんは居ないって書いたり・・・どっちやねんって話ですよ。釈迦さんは、対機説法をしてました。つまり、その人に解る様に教えを説いてた訳です。専門家に対しては専門用語を使って、専門家じゃない人には専門用語を使わずに。だってどんな尊い話でも、伝わらなきゃ何の意味も価値も無いですから。伝わるって事が、要ですよ。

僕なんざ釈迦さんの足元にも及びませんが、それでも対機説法的に話したり書いたりする事を考えてます。だから時に、矛盾してる様に捉えられてしまう様な書き方をしてる訳です。てか釈迦さんの説法ではなく、所詮はブログに過ぎませんからね。矛盾が在ろうが無かろうが、読んだ人が樂しんでくれればオッケーなんですがね(笑)何にしても、対機説法は良いものです。そして釈迦さんだけなく密教の空海さんも、対機説法的なアプローチをされた方でした。密教は仏教じゃない、言う人も居られます。確かにその考えにも、一理は在る訳なんです。

密教は、釈迦さんの否定したもので溢れてます。儀式に呪文(真言)、そして大日さん・・・でも空海さん程の人が、釈迦さんの教えの本質を解ってなかったとは考え難い訳です。恐らく当時の民に解り易い様に、敢えて釈迦さんが否定したものを取り入れたのでしょう。これも、対機説法ですね。そもそもですよ、宗教業界にも人気というのは在る訳ですよ。で釈迦さんが亡くなられた後に、仏教の人気も落ちてった訳ですよ。そこでヒンズー教的な、儀式やら何やらを取り入れたんです。儀式とか呪(まじな)いとかは、今も昔も民は好きですからね。

ついでにさっき大日さんの名を出したので、ちょっと書いときます。大日さんは、釈迦さんでは在りません。つまり奈良の大仏さんは、釈迦さんではないんです。毘盧遮那さんと言って、大日さんの事なんですね。拝んでるものが違うんだから密教は仏教ではないだろう、という考えも頷けます。でもまぁそれを言ったら、そもそも仏教に拝む対象は居ませんがね(笑)仏教とは最強の哲学ですが、最弱の宗教なんです。だって拝む対象(神さん)が、居ませんからね。そう考えると宗教色の強い密教が生まれて初めて、仏教は宗教に成ったとも言えます。

密教は、除災招福を祈る儀式から初まりました。この辺を初期とするなら、次の中期が私達のよく知る密教です。空海さんが日本に持ってきたのも、この頃の密教です。ある意味、最も釈迦さんの教えから離れたものですよ。大日さんが作られ、大日経と金剛頂経が有名ですね。この2つの経はインドから中国へ渡ったもので、空海さんの師の恵果さんが持ってました。そして恵果さんから学んだ空海さんが、この2つを両部不二として纏めたんです。そして密教の後期は、チベットで栄えました。それはチベットの土着宗教と、1つに成ったものでした。

後期の密教は、声聞縁覚・波羅蜜多・真言を三乗としてます。声聞縁覚は小乗(上座部)仏教で波羅蜜多は大乗仏教、真言は密教を指します。先ず小乗から大乗へ進み、密教に至る。つまりチベットでは、密教僧は偉かったんです。後期密教の特徴は原点回帰、つまり『釈迦さんの教えを思い出せ』です。煌びやかさが消え、シンプルに成りました。護摩も焚いたりしませんし、曼荼羅も砂に書く様に成りました。儀式が減る代わりに、瞑想が豊かに成りました。儀式という物理的な物から瞑想という情報的なものへ、グンッとレベルアップしたんですね。

空海さんが日本に伝えた密教を純密、その前の密教を雑密と言います。雑密は、役小角さんの様な修験道の山伏や行者が使ってました。陀羅尼(真言=マントラ)が主だったので、正に呪術の類でした。陀羅尼とは「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」とか、ですかね。この辺の雑密の事も、中国に渡る前の空海さんは知ってたんだと思われます。でも恐らく、シックリきてなかったんでしょう。中国から戻った空海さんは、個人レベルの呪術だった密教を国家レベルの宗教へとレベルアップさせた訳ですね。

オリジナルの仏教って、バチバチの哲学なんです。神さんとか天国とか、ファンタジー的な事が全く無いんです。そりゃ、人気は出ませんわ(笑)でもだからこそ、密教がオモシロいんです。密教は美術的な面も豊かなので、その辺も樂しめます。また四国八十八箇所を巡る『お遍路さん』は、密教的なエンターテイメントです。今の世では知らない人が困ってても、なかなか声を掛けれません。要らんトラブルに、巻き込まれるかもしれませんし。そんな時は心の中で手を合わせて「南無大師遍照金剛」という空海さんの真言を三回、唱えてみて下さい。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)