善々

Fortune Tarot

例えば、オタクの方は我がの好きな事に無我夢中に成ってます。そういう点では、オタクの方は人の事を考えてません。でも、人から何かを奪おうとも考えてません。我がで稼いだ金を、好きな事に使ってる訳ですから。そういう点では、オタクの方は誰にも嫌な思いをさせてません。そしてオタクの方が使った金は、経済を潤わす訳ですからね。今からの世、こういったオタクの皆さんは生き残られるでしょう。勿論、オタクの方の中にも困った人は居ます。でも他の多くのオタクの方は、そうではないでしょう。何かにアツく成れるって、良いですね。

今からの世、人から奪おうと考えてる人は生き残れません。また、人から奪われる事を良しとしてる人も生き残れません。むしろ、人から奪われる事を良しとしてる人から消えてくでしょう。諸悪の根源なんてな、最期の最後に消えてくんです。恐らく、このブログを読まれてる人の中に諸悪の根源に属する方は居られないでしょう。でも、人から奪われる事を良しとしてる人は居られるかもですね。すると「私は、どちらでもないよ」と殆どの方が仰られるでしょうね。でも、その殆どの方は人から奪われる事を良しとしちゃってる皆さんなんですよね。

強奪、は恐いですが解り易いですよね。気が付かない内にコッソリと抜き取られてる、って事の方が在る意味では怖かったりします。だって「奪われてた」と気が付いた時には取り返しが着かない所まで堕ちてました、なんて洒落に成りませんからね。昔の支配者や後進国の支配者なら、いざ知らず・・・今の先進国の支配者のやり方は、巧妙で狡猾です。搾取されてると私達に気が付かれない様に、私達から搾取してる訳です。だからつまり、私達の全員が今まで奪われ続けてきたんです。でも、そんな支配も搾取も終わりつつあるという事なんですね。

何で終わりつつあるかというのは、別の機に書くとして・・・さっきも書きましたが、奪う側でなく奪われる側も消えてしまうという事の方が気を付けねば成りませんよね。その為には先ず、我がが奪われる側だったと認めねば成りません。よく考えたら俺は奪う側だった、なんて事は在り得ません。奪う側もまた、更に上の奴から奪われてるってのが現実なんです。その負の連鎖から出る為には、先ず自らが奪われる側だったと認める事。認めちゃえすれば、少なくとも奪う側と共に消えちゃう事はありません。勿論、心の底から認めねば成りませんが。

「あ!私は・僕は奪われる側だったんだ!」と気が付けば、奪われる側から脱したいと自然と考えれます。まぁ「じゃあ次は奪う側へ回るぞ」と考える様な人は居ないでしょうし、また「まぁ今のまま死ぬまで奪われる側で良いや」と考えられる方も居られないでしょう。まぁ、その前提で話を進めてきます。生まれた時から、檻の中で暮らしてた獣が居たとしましょう。その獣が何かの弾みで檻から出れたとしても、檻の広さより外には出れないんです。だらか檻の広さが10mだったら、檻が無くなっても10mの範囲をウロウロしてるだけなんです。

まぁ、習慣って怖いですよねって話ですね。それが良い習慣なら、今からも続けて下さい。でもそれが悪い習慣なら、直ぐにでも辞めて下さい。習慣こそが、人生なんです。それが自覚してる習慣、意識してやってる習慣なら良いんです。続けるも続けないも、辞めるも辞めないも選べます。でもそれが自覚してない習慣、無意識でやってる習慣なら気を付けねば成りません。続ける辞める以前に、やってる事に気が付いてないんですからね。そして人生は、無意識的に行ってる習慣9割で作られてます。意識的な習慣なんて、ほんのちょっとなんですね。

でもこの無意識的な習慣を換えるのが、本当に難しいんですね。だから人は、学ばなければ成らないんですね。講座を受けるも良し、本を読むも良し。新しい事を知り新しい事を行うと、ほんのちょっとずつでも人生は換わります。学校もそうです、学歴の為に行くんじゃないんです。ハッキリと言ってしまうと、賢くないと騙されてしまうんです。そして騙されるという事は、奪われてしまうと言う事なんです。それじゃ樂しめないじゃないですか、じゃあ学びましょうって事ですね。例えば今はネットを使っても、色んな事を学べちゃいますからねぇ。

人生を換える為に、スピリチュアル的な修行に勤しむのもアリです。例えば瞑想や座禅は、科学的にも効果が認められてますしね。でもそれだけじゃ、足りないのが今の世なんですね。良い事をしようにも、何が良い事なのかを知らねば成りません。そして良い事にも、レベルが在ると言う事です。その為には、学ぶしかない訳です。つまり、良い事をするという事と学ぶという事はイコールなんです。そもそも良い事に、絶対的な物なんて在りません。だから学ぶ事で、臨機応変な対応をやれる様にしてないといけない訳です。21世紀の、処世術です。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

コメント

No Comments

Be the first to start a conversation

Leave a Reply

  • (will not be published)