Fortune Tarot

神さんと言っても、色んな神さんが居られます。例えば、一神教の神さんは全知全能です。何でも知ってて何でもやれる、それが全知全能です。因みに一神教の世界観の中には神さんが1人しか居られないかというと、それは違います。他にも神さんは、居ても良いんです。そんな中で「俺だけを信じろよ」と仰られてるのが、一神教の神さんです。とてもとても悪い言い方をするなら、一神教の神さんは妬む神さんという事に成るでしょうね。つまり「俺だけを信じろ」と、そして「俺だけを信じたら助けてやるぞ」という訳です。これは、良い悪いではありませんよ。

信じる者は救われるなんて、よく宗教で言われる事ですよね。そうなんです、神さんが居るから神さんを信じるんじゃないんです。神さんを信じるから神さんが居る、これが科学的には正しいんです。神さんが居ると信じてない者にとって「神さんとやらが居るなら、その証を示してみろ」って感じですよね。でも神さんが居ると信じてる人にとって、世は神さんが居るという事がハッキリと感じれる事で溢れてるんですね。

全ては、主観なんです。神さんが居ると信じてると、その人の脳は何でもかんでも起こった事を神さんと結び付けちゃうんですね。良くも悪くも、何でもかんでもです。勿論、その逆も然りです。神さんが居ると信じてる人にとっては、世で起こる全ての事は神さんが起こした必然です。神さんが居ると信じてない人にとっては、世で起こる全ての事は単なる偶然に過ぎません。

釈迦さんの教えでは、世に絶対的なものは何も在りません。つまり、釈迦さんは「全知全能な神さんなんて居ないよ」と言ったんです。全知全能な神さんの事を、科学的には完全情報と言います。そんなものはないという事が、科学的にも前世紀に既に証明されてます。それは、不確定性原理と不完全性定理に縁ってですね。この世には絶対的な物なんて無いというのが不確定性原理、あの世に完全情報なんて無いというのが不完全性定理です。そしてこの世はあの世の底だと考える事で、不確定性原理と不完全性定理を1つに纏めれる訳です。この世にもあの世にも、絶対的なものなんて何1つ無い訳ですね。

そう考えると多神教の神さんや、仏教の仏さんなんてな別の話ですよね。全知全能の神さんは妬む神なので、他の宗教の他の神さんなんて認めません。だとするならば、同じ宗教の中に我がの他に神さんを作る訳が無いのですからね。同じ宗教の中に何柱も神さんや仏さんが居られる宗教は、もう全く別の世なんですね。釈迦さんの語った縁起という考えでは、関係が存在を作ってます。じゃあ親を持つ神さんは、居ても良い訳です。親と子というのも、縁起の1つですからね。

ただし、あの世に意思と目的を持った知的な空気の様な存在が居るか否かは疑わしい所です。あの世というのは、科学的には情報空間と言います。これは、在ります。そして情報も、在る訳です。勿論、情報空間も情報もそのままでは私達の目には見えませんがね。そして氣なんてな、この情報空間に漂う情報の事を指します。じゃあ、氣も在るんです。それを使い熟して体を治しちゃったりする人を、気功師さんなんて呼ぶ訳ですよ。まぁ現に効くなら、祈祷師さんでも祓師さんでも良いのですがね。

氣は在る、でも霊は居るんだろうかって話です。さっきも書きましたが、全知全能な神さん(完全情報)は居ない訳ですよ。じゃあ、縁起から生まれた神さんや仏さんは居るのか?また情報空間に住む知的な空気なんて在るのか?って話です。縁起から生まれた神さん仏さんは、居ます。ただし、それを信じる人との、頭の中(情報空間)にだけですがね。そして知的な空気なんてな氣と大して変わらないと考えれば、やはり情報空間には居ます。

後は、どれだけ信じるかです。ただし信じれば、情報空間にしか居ない神さんや仏さんは力を持ちます。つまり、現実世界に影響を与えれます。妄想も、侮れないという事です。心の底から「私は神だ」とか信じてるカルトの教祖さんで在れば在るほど、氣で病を治せるんです。因みに氣って、氣を信じてない人にも効きます。でも使う側は、氣が効くと信じてなければ成りません。まぁ、どちらも心の底から信じてればそれに越した事は在りませんがね。

氣を最も使い熟るのは、心の底から「私は神だ」とか信じてるカルトの教祖さんです。その次に使い熟るのは、詐欺師です。最も使い熟せないのが、正直者という事です。でもそれって、危ないですよね。だから氣を、科学的に教えないといけないんですね。氣が効くのは既に科学で解明されてるんだと、キチンと教えないといけないんです。

だってもう、21世紀なんですから。確かに不思議な事ってロマンを含んでますが・・・そろそろ科学でビシッとはっきりさせちゃって欲しい所です。すると偽物や詐欺師も減るので、それが結果として世の得に繋がる訳なんですしね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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