薩婆訶

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日本は、仏教国です。いや、ほんまかよ!?って、話ですよね。そもそもオリジナルの仏教が日本に伝わったのは、そんなに前ではないんですね。じゃあ歴史の授業で習った昔の日本に伝来してきたのは、何だったんでしょうか。それはインドから中国に伝わり、儒教と道教がミックスされた仏教です。もう無茶苦茶です、はい(笑)でも取り敢えず受け入れて、日本人の好みに合ったものに換えてしまうのは日本人の得意とする所ですよね。日本のカレーは本場のインドのカレーとは既に別物ですが、日本のカレーは日本のカレーでとても旨いですしね。

そもそも、私達は人です。決して、神さんじゃありません。無から有を創るなんて、神さんでもかなり上の方の神さんしかやれません。じゃあ私達が真にオリジナルな物を作るなんて、はっきり言って不可能です。神さんの技は神さんに任せて、人は人らしくやりましょう。つまり既に在る物に創意工夫して我がだけの付加価値を持たせれば、それでオッケーなんです。我がだけの付加価値と言うと、ハードルが高いと感じられるかもしれませんが・・・よく考えれば、全く同じ物を作る方が難しいんです。気を楽に、クリエイトしちゃって良いんですね。

で、話を戻しましょう。日本は、良くも悪くも緩い国です。民の政治への関心がこれ程までに薄いのにチャンと国が国として機能してるのが、その証です。外人さんからすると、かなりビックリだそうですよ。という訳で日本に来た仏教は紆余曲折、色んな事が在りました。皆さんも歴史の授業で習いましたよね、神仏習合。仏教が来る前から、日本には神道という宗教が在りました。先ず、神道の神さんと仏教の仏さんは等しく尊いという所から始まりました。宮さんの御神体が仏像だったり寺さんが宮さんを管理したり、まぁチャンポン状態です(笑)

次に、神身離脱が起きました。神道の神さんが、仏教に帰依しちゃったんです。要は宮さんのパトロンだった地方の豪族が、仏教に擦り寄った訳です。そして神身離脱だけが訳では無いのですが、宮さんの中に寺さんが作られる様に成りました。この寺さんを神宮寺さんと言い、本体の宮さんを管理した訳です。つまり宮さんを、僧さんが運営したんですね。そして、護法善神が起きました。「神道の神さんは、仏教に於ける天部だ。神道の神さんは、仏教の守り神さんだ」という感じです。まぁ今までよりは、ちょっと神さんの扱いは良く成りましたね。

それでもやはり、仏教の仏さんの方が神道の神さんより上な訳です。仏教の仏さんには上から如来・明王・菩薩・天部というランクが在り、天部は最も下だからです。ただこれに縁り、寺さんの中に宮さんが作られます。この宮さんを、鎮守社と言います。そして、本地垂迹という考えが出てきます。仏さんと神さんは実は同じ、という考えです。天照さんと大日さんは同じだし、素戔嗚さんと薬師さんは同じという事です。本地垂迹を考えたのが仏教側で、神道側も神本仏迹という似た様な考えを作ります。でもこちらは、余り流行しなかったそうです。

そして今は、神仏分離状態です。神さんと仏さんを混ぜるんじゃねぇよ、って事ですね。まぁ神仏習合にしても神仏分離にしても、権力者が権力者の都合で考えたものです。特に昔の僧さんは、学者さんだった訳です。要は、インテリです。他の宗教を排してきたキリスト教と違い、仏教は他の宗教を取り入れてきたました。マーケティングが、巧かったんですね。殆どの民からすれば、神さんだろうと仏さんだろうとどちらもフランクに拝んでる訳です。まぁ色んな事が在りましたが、中国から伝わった仏教は日本を語る上で欠かせないものなんですね。

さっき仏さんのランクを書きました、如来・明王・菩薩・天部です。この中の菩薩さんと言うのは、実は修行僧さんの事を指します。つまり、僕も菩薩さんという事です。だからこそ修行僧の観音菩薩さんが阿羅漢というランクの兄弟子の舎利弗さんに教えを説くなんて事が書かれてる般若心経は、誤りっちゃ誤りです。まぁ、それは良いとして・・・今の世は、日常生活が既に修行の場です。山に籠るより、寺さんに籠るより・・・俗世で生き抜く方が、よっぽどハードモードなんです。だからこそ私達は皆、修行僧たる菩薩さんという訳なんですよね。

世は、理不尽で溢れてます。でも既に悟った、神さんや仏さんが私達を助けてくれます。時に厳しく時に優しく、地を守るが神さん人を守るが仏さん。辛い時は、助けを求めて下さい。そんな時には、密教の真言(マントラ)を唱えてみて下さい。例えば般若心経の「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」の所は真言で、皆さんも1度は聞かれた事が在るのではないでしょうか。般若心経の全てを覚えるのは難しくても、ここだけ覚えて気が向いた時にでも3回だけ呟かれる事をオススメします。神さんや仏さんの力を、チラッと味わえますよ。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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