真・あけましておめでとうございます

Fortune Tarot

昨日の1月15日に、僕は初詣に行ってきました。詣らせて頂いたのは家の最も近くに在る宮さん、鎮守さんです。1月15日は、小正月ですね。この1月15日までが正月で、この日までが松の内なので門松を出してても良いんです。ただ僕の流派では、12月15日〜1月14日の間は宮さんや寺さんに詣りません。この間は、神さんも仏さんも忙しいんです。だから参拝者の願いを処理してる暇が無いので、溜まっちゃってるんですね。キチンと処理されてない願いなんて、害でしか在りません。だから1月15日まで、詣らない方が良いんですね。

因みに、宮さんや寺さんは神さんや仏さんの家です。ですから、失礼の無い様に気を付けねば成りません。神さんや仏さんの中には、とても厳しい方も居られます。早い話が、礼を尽くさねば罰が当たるという事です。まぁ幾つか細かいルールが在るのですが、基本的なルールだけでも書いときますね。先ずは、そうですね。宮さんや寺さんで写真を撮ってはいけません。宮さんや寺さんが神さんや仏さんの家と考えれば、まぁ当たり前の事ですよね。先輩の家に御邪魔して、勝手に家の中をパシャパシャと写真に撮るのは礼を欠いてるにも程が在ります。

後は、宮さんや寺さんの中に生えてる木とかに触ってはいけません。先輩の家に御邪魔して、家の中の物をベタベタと触るのはマナーを欠いてます。神さんや仏さんは、私達の大先輩です。そんな、大先輩の家に御邪魔させて頂く・・・それを肝に銘じて詣って頂ければ、まぁ障りは無いでしょう。因みに宮さんに在る鳥居は、結界の役を担ってます。まぁ、玄関だと捉えて下さい。これは不思議なのですが鳥居の外は風が吹いてるのに、鳥居を1歩でも潜るとピタリと風が止む宮さんとかも在ります。いやはや、その宮さんを作った人の粋な演出ですね。

さて、昨日までが正月という事だったのですが・・・私達にとって、正月って余り意味と価値が在りませんよね。そもそも昔の人の殆どは、毎日の様に働いてたんです。だって貧しいので、休んでる暇は無かったんです。だからこそ正月位は食いたい物を食いただけ食って、寝たい時に寝たいだけ寝たかったんです。でも今の私達は昔の人よりかは、食いたい物を食いたいだけ食えますし寝たい時に寝たいだけ寝れます。じゃあ私達にとって正月は、ただの連休と同じなんです。そう考えると、正月の在り方や過ごし方をバーションアップさせたいですね。

今までの世で最も幸せなのは、金と物に囲まれて毎晩の様にドンチャン騒ぎの宴会を樂しむ事です。そして今からの世でも、それは幸せな事です。でも、それは最も低い幸せに成ります。今からの世で最も幸せなのは、心が安らかという事です。安らぎこそが、幸せなんですね。飲み会って、確かに樂しいですよね。でも皆さんも、1度は感じた事が在るのではないでしょうか。飲み会が終わって1人で家に向かって歩く帰り道で感じる、あの訳の無い悲しさや寂しさ。あれは私達の幸せが、レベルアップしつつあるから感じてしまった事だったんですね。

また前のブログにも書きましたが、私達は空間で繋がってるんです。私達は1個の空間の、1部なんですね。この星の上には、10億人を超える飢餓で苦しむ人が居ます。技術の進歩で、本来なら今の地球上で飢餓が起こる訳が無いんです。じゃあ何で起きてるかと言うと、資本主義の弊害に縁って飢餓が起きてるんです。資本主義の、成れの果てです。そんな飢餓で苦しむ人が居る事を、私達は空間を通して無意識的に感じてるんです。だから樂しい時にでも、フと虚しさを感じてしまうんです。人類は皆、兄弟なんです。だから、解っちゃうんですね。

差別に飢餓、そして戦争。差別は、知性が足らないから起きます。飢餓は、感性が足らないから起きます。戦争は、論理が足りないから起きます。もっと近い事で、例えてみましょうか。知性が足りないと、対人にトラブルが起きます。感性が足りないと、経済にトラブルが起きます。論理が足りないと、肉体にトラブルが起きます。だから知性と感性と論理を、バランス良く伸ばさねば成らないんですね。知性は入力、感性は出力。そして、論理は調整です。この知性・感性・論理こそが、人格なんです。そして宗教では、魂と呼ばれるものなんですね。

2017年は是非とも、1日10分で構いません。私達が暮らす同じ星の上で、差別や飢餓や戦争に苦しむ人に想いを馳せて下さい。現地に、ボランティアに行けなくても良いんです。募金や寄付を、しなくても大丈夫です。先ずは1日10分、想いを馳せる所から始めてみませんか。たかが想い、されど想いです。1人でも多くの人が想えば、それは必ずや現象化するでしょう。世から、差別と飢餓と戦争を無くす。それこそが、この地球の上で生きる私達のゴールなのでないでしょうか。と言った所で、今年もFortuneを宜しくお願い致します。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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