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仏教には大きく分けて、上座部仏教と大乗仏教が在ります。因みに小乗仏教というのは、大乗仏教が上座部仏教を悪く言った呼び名です。大乗仏教は皆を救うけど、上座部仏教は限られた人しか救わない。大乗仏教が極楽浄土へ行く大きな乗り物とするなら、上座部仏教は小さな乗り物だ。的な考えから、大乗仏教は上座部仏教を小乗仏教と呼んだんですね。

ただ釈迦さんの教えに近いのは、大乗仏教ではなく上座部仏教です。つまり上座部仏教の悟りは、縁起という訳です。じゃあ大乗仏教の悟りは何かと言われれば、それは空な訳です。まぁ縁起も空も、余り違いませんよね。つまり私達は、玉葱と似た様なもんなんです。玉葱って皮だけが在って芯は在りませんよね。関係という皮が在るだけなんだ、というのが縁起という考え方です。そして実体という芯なんか無いんだ、というのが空という考え方です。

じゃあ、釈迦さんが悟った事が縁起や空かというと・・・実は、違います。ただし釈迦さんが悟った後に語った事は、縁起についてでしょう。まぁ釈迦さんが初めて縁起について語った時に、その語った事に縁起という名が付けられてたかどうかは謎ですがね。悟った事と、悟った後に語った事は必ずしも=ではありません。悟った後に初めて口にしたのが「腹が減った」だとして、じゃあ悟った事が「腹が減った」という事ではないですよね。ではでは、釈迦さんは菩提樹の下で何を悟ったのでしょうかね。

その前に「釈迦さんの悟った事は縁起じゃないのか」とか「いや、空じゃないのか」聞こえてきそうですね。その辺の事から、先に書いちゃいましょうかね。例えばですよ、般若心経って御存知ですよね。まぁ暗記はしてなくも、1度位は聞いた事が在るのではないでしょうか。あれはですね、観自在菩薩さんが舎利子さんに教えを説くという様な形で話が進められてます。でも、この時点で実は変なんですね。

先ず観自在菩薩さんの菩薩というのは、修行僧という意味です。そして舎利子さんは阿羅漢といい、修行僧さんより上の人なんですね。つまり、弟弟子が兄弟子に仏の道を説いてるんです・・・まぁ現実、そういう事も起こり得るでしょうが・・・普通に考えれば、阿羅漢の舎利子さんが修行僧の観自在菩薩さんに教えを説くという方が解り易い訳ですよ。

次に、舎利子さんの呼び方です。舎利子さんは、舎利弗さんの事を指します。そして観自在菩薩さんが舎利弗さんを舎利子と呼ぶという事は、舎利弗さんを『舎利さんとこの子』といったニュアンスで観自在菩薩さんが呼んでるという事なんですね。弟弟子の観自在菩薩さんが兄弟子の舎利子さんに対して、何て口の利き方でしょう。

そして色即是空 空即是色がオカシいというのは、1つ前のブログでも書かせて頂きましたね。正しくは色即是無 無即是色、空包摂色 空包摂無です。そして、般若心経の最後には『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』と書かれてます。これは、真言です。真言の何が悪いかというと、釈迦さんが真言の類は禁じてたからです。この様にですね、ポピュラーな般若心経でさえも色んなオカシな点が在るという事です。

でもよく考えれば、そりゃそうですよね。釈迦さんが生まれて、約2500年も経ってる訳です。釈迦さんが生きてた世には勿論、パソコンなんて在りません。そりゃ釈迦さんの教えも、正しく残らないってもんです。それは仮に、釈迦さんの教えを歪めようなんていう悪意が無かったとしてもです。で、釈迦さんの悟った事は縁起でも空でもないって話でしたよね。

要は、釈迦さんが「これが悟りです」と指を指したとします。その釈迦さんが指を指した先に在るのが悟りで、その指は悟りではないんです。その釈迦さんが指を指した先に在るのが悟りで、その指が縁起であり空なんです。だから縁起や空を学ぶ事は、悟る為の近道です。でも何時までも、指である縁起や空ばかりを見ててはいけないんです。いけないというか、それでは何時まで経っても悟れませんよって事です。

縁起や空を学ぶ事で、悟りが何かが頭で解ります。でも、それだけでは足りないんです。体でも、悟りが何かが解らなければ成りません。知識だけでなく、体感でも悟りましょうって事ですね。因みに釈迦さんは、座禅を組んで瞑想して悟りを開きました。じゃあ順は釈迦さんとは逆ですが、私達も瞑想して座禅を組めば良いのでしょうか。まぁ結論から言うと、そうなのですがね。

でも瞑想して座禅を組まなくても、私達は悟りを開けるでしょうね。それこそが、先に頭で解っちゃった者の強みです。ただ、解った気に成ってるだけの頭デッカチにも成り易いという弱みも在ります。まぁ、転びながらも前に進めるというのが菩薩さん=修行者なのでしょうね。僕も未だ修行者、菩薩に過ぎません。死ぬまでに悟りを開き、菩薩を卒業できるかどうか・・・それでもコツコツ、励んできたいと考えてます。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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