親の心、子の心。

Fortune Tarot

右の事を、阤(ち)と言います。左の事を、極(きょく)と言います。人は右(阤)に道を逸れれば逸れるほど、禍が来ます。逆に左(極)に道を逸れれば逸れるほど、福が来ます。これより先に右に逸れると死ぬよ、って所を獄と言います。だから、そこは阤極(じごく)と言います。地獄ではなく、阤獄です。今までの世は、偽りが罷り通る世でした。だから阤極でなく地獄という、誤った字が使われてました。これより先に左に逸れると死ぬよ、って所を楽と言います。だから、そこは極楽(ごくらく)なんです。幸せ過ぎると、人は死ぬんですね。

と言うよりも左(極)は、厳密には福や幸せとは呼べません。人は、己の道を歩むべきなんですね。己の右に在る道も己の左に在る道も、他の人が歩むべき道なんです。己の道を逸れて、人の道に迷い込んでは迷惑です。だから右の道だろうが左の道だろうが、逸れ過ぎると宇宙さんや自然さんに命を奪われます。人の道に入る事は、人権侵害ならぬ自由侵害です。人の自由を犯す事ほど、人に迷惑を掛ける事って無いんですね。つまり何を言いたいかというと、御節介は辞めましょうという事です。御節介しても、我がも人も誰も幸せには成りませんね。

御節介とは呼んで字の如く、人の節目に介入する事です。今までの世は、それが許されてました。今からの世は、それは許されません。在る意味では、殺人よりも御節介の方が罪が重く成ります。勿論その罪を裁くのは、宇宙さんや自然さんです。まぁ厳密には、鬼さんなのですがね。とにかく、御節介の許されぬ世が訪れつつ在ります。要らぬ親切、大きな御世話・・・しなくても良い御節介は、オススメしません。ただ世の理を知らぬ、幼い子は別です。赤ちゃんは、キチンと育てて下さい。でも育つに連れて、ちょっとずつ御節介は減らしましょう。

極論、何から何まで全て面倒を見る覚悟が無ければ御節介なんてしちゃ駄目です。でも親と子と成ると、その匙加減は難しいかもですね。海という字の中には母という字が入ってると言いますが、厳密には違いますよね。真ん中の縦の線が、海は繋がってますが母はチョンチョンです。それは母は子を育てる為に、我がの回線を1本だけ切るからです。そう考えると、母から子への御節介は在る程度は認められてる訳です。でも基本は、愛と情は違います。御節介は愛ではなく情で、情とは愛に付いたゴミの事です。親は子を、チャンと愛したいですよね。

じゃあ、愛ってなんだと言う話ですよね。ズバリ愛とは、好きって事です。もうちょっと詳しく言うと、価値を認め価値を高める事です。これは、褒めるとは違います。決して、子を褒めて育ててはいけません。何でかと言うと、褒めて育てられた子は褒められないと我がの価値を我がで認めれなくなるからです。そして、褒められなければ何もしない子に育ってしまいます。かと言って、全く褒めなくて良いという訳では在りません。じゃあどうすれば良いかと言うと、褒めるのではなく感謝すれば良いのです。まぁ、当たり前の事かもしれませんがね。

親の役とは、何でしょう。勿論、子を育てる事なのですがね。決して、親の価値観を押し付けてはいけません。親の役は、子が自らの足で立てる様にする事です。つまり、自立です。それは経済的な面だけでなく、精神的な面でもです。親の価値観を押し付けられた子は、自信の無い子に育ってしまいます・・・犯罪を起こす様な人は、自信の無い人が多いです。自己評価が低い、と言った方が良いかもですね。そして彼等は刑務所で虐げられ、更に自己評価を下げます。だから出所しても再び罪を犯すという、負のスパイラルから出られない訳なんです。

因みに、長所を伸ばし短所を無くすという育て方はオススメしません。そもそも何が長所で何が短所かなんて、それこそ親の価値観でしか在りません。親の価値観で無ければ、世間の価値観です。でも世間の価値観なんて、時と場に縁って幾らでも換わる訳です。それだったら我が子に、夢の叶え方の1つでも教えてあげてはどうでしょうか。そうすれば子は、親が居なくなっても1人でも強く生きてけるでしょう。ただし常識や法律は、教えとくだけは教えとかなければ成りませんよね。スポーツでもそうですが、ルールを知らずにプレーはやれません。

よくスピリチュアルでは「今の子は、親よりも魂のレベルが高い」的な事が言われてます。個人的には、そうなんだろうなぁと思い当たる節は在ります。でもだからと言って子の言う事に親が全て従ってたら、それこそ世も末です。今の子が、親よりも魂のレベルが高いとするならばですよ。親はそんな子を育てるのに、ふさわしい親で在る様に努めるべきでしょう。親も子も、互いに同じ人な訳ですから。同じ人という点では、他の人の子も同じ人。我が子が最もカワイイというのが親なら当たり前でしょうが、その思いはちょっと控えるべきでしょう。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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