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Fortune Tarot

今までの世は『教育』で今からの世は『しわん(すみません、漢字を忘れました)』です。教育って、何でしょう?読んで字の如くなら、教え育むですよね。でもこの教え育むの教えるって、とても難しく。そしてまた、とても危ないんです。ピシッとしたスーツを着てる人の言う事なら、何でも信じて良いのでしょうか。パリッとした白衣を着てる人の言う事なら、何でも正しいのでしょうか。私達は、我がの頭で物を考えねばなりません。誰から教わった事でも、どの本に書かれてる事でも。だってこの世には、絶対的な物など何も無いのですからね。

では『しわん』とは、どの様な生き方なのでしょうか。皆さんも、吉田松陰先生は御存知ですよね。吉田松陰先生は色んな事が在って、牢に入れられた事が在ります。その時に同じく牢に捕らわれてる他の囚人達に、学問を教えたそうです。その代わりという訳ではないのですが、松陰先生もまた一芸を持つ他の囚人から色んな事を教わってたそうです。その時に吉田松陰先生は、相手の事を「先生」と呼んだそうです。身分や立場を無視して相手の事を「先生」と呼び、敬ったとされてます。これもまた『しわん』という生き方の、1つの形なんですね。

メンター、という人が居ます。何と訳すかは難しい所ですが『師』と訳すのが、解り易いでしょうか。マスター、とも言い換えれるかもしれませんね。専門的な事を学ぶなら、メンターやマスターは必ず要ります。しかしながら普通に生きてても、居て損は在りません。いえ、むしろ普通の生き方こそ師から学ぶべきでしょう。でもそんなに都合が良く、吉田松陰先生の様なメンターが現れてくれるとは限りません。むしろ、良きマスターと逢える事は稀です。では私達は、誰から学べば良いというのでしょうか。生き方や愛し方、喜ばせ方というものを。

『しわん』という生き方・・・それは我がの目の前に居る人から学ぶという生き方です。つまり我がの目の前に居る人が、メンターでありマスターであり師なんです。そういった意味では、メンターなんて要らないという風にも考えれます。但し、コーチは話が別です。コーチとメンターは、違います。メンターは師匠ですが、コーチは隣人です。でもコーチはクライアントさんにとって、親族よりも恋人よりもメンターよりも影響力の強い存在です。コーチという強力な縁起を、クライアントさんに加える。だからクライアントさんは、換わるんですね。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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