自分の味わいは経験から成り立つ
サロンではお菓子を作ったり、日々自炊もしておりますが、
お菓子であれば何をアクセントに加えるか、お料理であれば「さじ加減」という言葉もあるように、何をどのくらい加えるかで全く味の印象が変わるものです。
味覚の基本として、「五味」があります。
甘味・塩味・酸味・苦味・うま味、ですね。これらをバランスよく組み合わせて、献立を工夫すると良いと言われています。
先日、お料理しながらふと思ったのは、「甘味やうま味ばかりの人生だとつまらないだろうな。」「苦みや酸味、塩味が加わってこそ、私らしい私の生き方に繋がるのではないか。」ということです。
私の場合は強烈な苦み(苦く、苦しい出来事の経験)や、酸味(涙が出るような酸っぱい思いをしたこと)、塩味(しょっぱい思い出)がかなり効いている人生だと思います。
酸味と苦みは、腐敗した食べ物や有毒成分を避けるための味覚、塩味は必要なミネラルを摂取するための味覚です。
ということは、私のそうした経験も、他の誰かが人生の危機やしんどいことに襲われている際に、必要な分だけ参考として提供し、さらに他者の役に立つために使っていくことができる素材を持っている、ということになります。
良い意味で「人生の味覚が備わってきている」と思えば、たとえしんどい出来事が起こったとしても、それほどしんどいとは思えなくなりますし、逆に「そんな経験ができてよかった!」に変化させることが可能になるということですね。
「味わい深い豊かな人生」とは、たくさんの経験をして、痛みも苦みも悲しみも含め、あらゆる味を自分特有のものとして認め、この世にひとつしかないお料理(作品)としての「私」を、最大限この世界に表現することではないかな、と思ったところでした。
甘みが足りない?苦いとNG?
生きていれば、やたら甘味やうま味を欲するものです。甘い恋愛、仕事上や人間関係で得られるうま味など。
そして人は、それらがまだまだ足りない、もっと、もっと欲しいとなりがちです。
その一方で、苦みや酸味は、どちらかというと見たくないものとして、持っていても避けたいものとして扱ってしまいます。
まるで、きちんと投入せずにとろみの塊のようになった「水溶き片栗粉」のように。
これらをきちんと扱えば、それぞれの経験がお互いを引き立てあうことで、素晴らしいハーモニーをつくりだし、この世にひとつしかないオリジナルの作品が仕上がっていくことでしょう。
ということは、自分の中の味わいを無視し、偏った調理ばかりしていると、いつまでたっても納得のいくお料理が完成しない、ということになりますね。
No Comments
Be the first to start a conversation