親が偉いなどと勘違いしないで
以前のブログに書いたことに関連しますが、
この世に「これが正解」という絶対的なものは無く、
人間に上も下もないということはお伝えしたとおりです。
しかし現実はなかなかそうともいかず、
他人事の差別的なニュースを見聞きしたりすると「ヒドイ話だな!」と批判したり憤る人でさえ、
いざ自分のこととなると「それとこれとは別ですから。」などと、しっかり棚に上げてしまわれることが多い世の中。
私も常々気をつけなくてはならないことだと感じておりますが、
あなたの周りにもいませんか?何事につけても上と下、勝ち組と負け組など、自分の正しさに無駄にこだわる人たちが。
何度もお伝えしますが・・・
親だから、子どもや子どものいない人より地位が高いなんてこと、ありえません。
結婚して子どもがいる人の方が偉いなんてこと、ありえません。
この仕事をしていると、
誰が言い出したか分からない「一部の人にとって都合の良い階級制度」や「守らなくてはならないらしい決まり事」に勝手に縛られ、知らないうちに操られている方も多く見受けられます。
自分だけならまだしも、
子どもやその周囲の人にまで、結果的に不幸を撒き散らしている親が結構いるのだという現実を目の当たりにし、どうしてそんなルールにわざわざ囚われなくてはならないのかと、困惑してしまうことばかりです。
私の場合は仕事ですので、ツールを補足的に使いながら、お話を聞いた内容と併せて分析していくわけですが・・・
親との関わり方で悩んでいるクライアントさんの現状を読み解いていって最終的に見えてくるのは、大抵以下のようなものに当てはまることが多いようです。
子どもが生まれる以前から燻ぶっている「親自身の心の痛み」。
子どもに対する「妬み」や「執着」の類。
「自分を認めてくれる存在を失いたくない」という身勝手な思い。
ひとりになりたくない。
自分のモノを他の人に取られたくない。
自分ではなく他の人に夢中になる(親より下の立場である他人を信頼する)なんて許せない。
自分より自由な生き方を選ぶこと、要は、親を越えた人生を歩むことなど許されない。
身体も時間も拘束されて、命がけで出産して世話してやったんだから、
私の最期を子どもが献身的に世話をするのは義務。
これらのいずれかを幼い頃から当たり前のように刷り込まれすぎて、
「親の言うことを守らなければ嫌われて生きていけない」とか、
「最低な子だと家族から蔑まれると自分の居場所がなくなる」とか、
不要な恐怖心や罪悪感を抱きながら大人になっている方が、非常に多いことが分かってくるのです。
しかし、それらって本当に本当なのでしょうか?
そもそも親にしてやったのは誰なのか?
悩んでいる子どもの立場の皆さんへ。
あなたはこの世に無事に生まれ、成長することができています。
それだけでも奇跡のようなものです。
人間、完璧な人などいません。
誰でも失敗やミスはあるものです。
迷惑を掛けるのはお互い様です。
親に対して罪の意識を背負い続ける必要はありません。
そんなあなたに育てた親にも責任はあるのですから。
あなたひとりが悪いなんてありえません。
普段は触れられないことのようですが、
実はあなたが誕生したことで、両親は親というものになれたのです。
なりたくてもなれない人がいる中で、
あなたは「彼らを親にしてあげる」という奇跡のような贈り物をすでにしています。
あなたが彼らを親にしたのです。
このことで分かるように、
決してあなたより親の方が絶対的に偉いのではありません。
そのことに気づいていない親がたくさんいることを申し訳なく思います。
進んで世の中のカラクリについて勉強(学校の学習ではありません)せず、身近な人やテレビ、マスコミの言うことばかりを疑いもせず吸収し、知らないうちにそれこそが真実であると洗脳され、何も考えようとしない大人になってしまった人たちを見て、残念ではありますが、反面教師にしてください。
狭い世界で、しかも非常に低い視点で、
常に同じ方向からしか物事を見れなくなってしまっている人たちは、
本当の自由を知りません。
これが自由なのだと勘違いしていた方が、彼らにとって幸せだからです。
無知に気づくことや未知の世界に足を踏み入れることは、彼らにとって自信(地位)を失うことであり、恐ろしいことだからです。
できればそれを知らずに、安心できる自分の世界の中で、一生を過ごしたいのです。
それはそれで良いと思います。
その世界に他人を巻き込まなければ。
世界はひとりひとりそれぞれのもの
あなたが見ている世界は、あなたの脳で情報処理された、あなただけの世界です。
すべての人が同じものを同じように見て、感じているとは限りません。
たとえば、
宮崎の観光名所である堀切峠(日向灘を美しく一望できる場所です)。
あなたなら何が見えますか?何に魅力を感じますか?
海の青さにフォーカスする人、
水平線にフォーカスする人、
波の音にフォーカスする人、
波打ち際の白い泡にフォーカスする人、
潮の匂いにフォーカスする人、
潮風の心地良さにフォーカスする人、
ずっと向こうまで続いている海岸線やその向こうの見えない景色にフォーカスする人・・・
たとえ同じ時間に同じ場所にいたとしても、
感じるもの、記憶するものはみなそれぞれ違うはずです。
ということは、たとえ親子であれ、生きている世界が全く同じことなどありえないということです。
しかし勘違いしている親は、
私がそう思うのだから、子どももそう思って(同意して)当然だ、と思い込んでいます。
どうしてこんな考え方になってしまったのでしょう?
人間が親になると、自分では何もできない赤ん坊を24時間守らなくてはなりません。
しかしそれも度が過ぎると、子どもを自分の世界にまるごと取り込んで、
常に子どもを外敵から守ることや、子どもの生命を脅かすものに対して過剰すぎるほど敏感になってしまう人も、中には現れます。
「とにかく四六時中子どもを守り抜かなくてはならない」という、自分で創った世界の呪縛に取り憑かれてしまっているので、子どもが成長しても、そこ(自分の世界)から子どもを出すことに強い抵抗を感じてしまうのです。
「親である私が思うこと(予定していること)と違うことをしても良い」とひとつでも許してしまったら(子どもに自由を与えたら)、自動的に子どもを危険に晒すことになる。それでは子どもの命が危ないという強迫観念を、すでに子どもが成人したにもかかわらず、捨てられずに持ち続けてしまわれている親御さんも、まれにですがいらっしゃいます。
「常に子どもを監視しておかないと落ち着かなくなる」という脳の動かし方になってしまっているのです。
こういう方は、自分がされて嫌なことを子どもにしてしまっていることに気づいていません。
自分を正当化して「子どもを守る」と言いながら、「自分の慣れ親しんだ世界を守る」ことに必死だからです。
こういったことも知っておいたうえで、親との関わりを考えてみてください。
あなたにはあなただけの世界があり、幸せを求める権利もあります。
親のためにあなたの幸せな未来を放棄する必要などありません。
親とはいえ、別々の人間です。
好きなもの、好きな場所、それぞれ違って当たり前なのです。
あなたが好きなものを堂々と選んでください。
親が気に入るものを選んでいるうちは、あなたらしい生き方が、その影を潜めてしまいます。
苦しい状況を作り出しているのは、親に従いすぎている自分ではないか?と疑うこと。
親に従わない自由もあるのだということ。
従わなかったからといって、この世界から罰せられることなどないのだ、ということを心の隅にでも留めておいてください。
いつまでたっても親のせいにしていると、益々そこから出られません。
結果的に今の状況を選んでここまできたのは、
見えないものに支配されていたかもしれないとはいえ、
どちらにしても自分自身なのですから。
ということは、
あなたが見方を変えれば、
世界はいつでも、いかようにも変えられるということです。
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