とんがり帽子のメモル
このアニメ、ご存知ですか?
先日、ふと思い出すことがありまして・・・
今ってとっても便利な時代ですよね、ちょっと検索すれば、埋もれていた記憶がいつでも掘り起こせるのですから。
実はですね。。。
このアニメのおもちゃにかかわる残念な記憶があることを思い出したのです。
このアニメのエンディングテーマ、背景はCGではなくジオラマでした。
おもちゃ屋さんでは、キャラクター玩具としてジオラマセットが販売されていたのですが、
私、それを持っていたことを思い出したのです。
複雑極まりなかった小中学生の頃
記憶なんて簡単に自分でねつ造できてしまうものなので、それが本当だったかどうかという確信はもちろんありませんが、ちょっとした昔話だと思って、よろしければお付き合いください。
私が小学生か中学生のころ、周囲がビックリするくらい無意識にため息ばかりついていた時期がありました。
学校から帰宅する途中、3歩歩けばため息をつく私に、当時一緒に下校していたお友達から「なんでため息ばかりつくの?幸せが逃げていくって聞いたことあるよ。」と心配されて、ようやく自分のやっていることに気がつくくらい。
他にも、同居していた祖母に「もう死にたい」と毎日のようにつぶやいていた時期もありました。
毎日わざわざ祖母の部屋へ出向き、あいさつ代わりに「ねぇばぁちゃん、もう死にたい。」と、ニヤリとした表情でつぶやくという、今考えてもあなた大丈夫?と言いたくなるような。
「ばぁちゃんより先に死ぬなんて、寂しいこと言いなさんな」と、きっと困らせてしまっていたであろうこのやり取りのシーンは、なぜか鮮明に覚えていて、本当に失礼極まりない孫だったな~と、今さら苦笑いです。
さてさて話がそれましたが、先ほどのメモルのおもちゃについてなんですけどね。。。
私、それを買ってもらったとき、子ども部屋の窓を開けて、箱ごと庭に投げ捨てた記憶があるんです。
気性の激しい子供だったなぁと思うのですが、小2くらいの頃の出来事でした。
祖母が弟(長男)に、大きなバスのおもちゃを買ってきたことがあり、それを受け取って素直に喜ぶ弟を見ていたら、だんだん空しくなってくる自分に気がついてですね・・・たぶん、私のおもちゃが無いことに、本当は腹が立ったのだろうと思います。
クリスマスでも誕生日でもないのに、しかもお金がないとかいっているのになんで贅沢におもちゃ?というのと、「なんで弟にあってわたしには無いの?」という嫉妬や怒りにまかせて、そのバスのおもちゃを横取りしたか、わざと激しく扱って、バスの角を凹ませたか車輪が取れたかなんだったか、確かに弟を泣かせたはずなのです。。。酷い姉です。。。
当たり前ですが、怒られますよね・・・なんで意地悪するのか?と。
で、理由を察した祖母か母か忘れたのですが、わざわざその日のうちに隣町のおもちゃ屋さんまで行って、私におもちゃを買ってきてくれたのだと思います。
「ほら、買ってきてやったよ。」と言われてもニコリともせず、ブスっとした表情で黙り込む私に「ほら、ありがとうは?」と、大人は言いますよね。
私の態度の悪さが原因なのは分かっていたのですが、その時、気を悪くさせてしまった家族から、ちょっとした捨て台詞というか、嫌味を言われた記憶があります。
分かっちゃいるけど、そんなこと吐き捨てるように言われてもっと傷ついて腹が立って、たいして欲しくもなかったおもちゃを、いかにもな感じで渡されたことにもブチ切れた私は、「こんなのいらない!」と、窓を開けて思いっきり庭に放り投げたというわけです。
あの時は本当は怒りというより悲しかったのと、勝手に私の好みを決めつけて、勝手に変なおもちゃを買ってきたあげく、私に対して「これでこの子は満足だろう」とまたもや勝手に決めつけているように感じた大人にムカついたのと、いろんなことに失望しての行為でした。
庭に落ちた瞬間、ガシャン、と、箱の中身の音がしました。
きっとさっきまで、誇らしげにおもちゃ屋さんの店頭に並べてあったであろう流行りのおもちゃが、いきなり民家の庭に放り出されているという残念な現実。
しかし、とんがり帽子のメモルに罪はありません。
そして、理不尽に私に泣かされた弟にも罪はありません。
おもちゃに関しては、その後、ちゃんと遊ぶ努力はしました。
しかし、一度私の怒りにまみれたメモル人形は、見た目はかわいいけれど、どこか好きになれなくて。
そのおもちゃを見るたびに、その時の記憶は無意識によみがえりますよね・・・
きっと子供だったから、そのまま勘違いしてしまったのでしょう。
今に至るまで、私はてっきりそのアニメ自体が嫌いだったんだろうと勝手に思い込んでしまっていました。
蓋を開けたらわたしの願いそのものだったストーリー
でも、実際に先ほど、第1話をたまたま視聴することができて、その時の本当の気持ちを思い出すことができたんです。
孤独な人間の女の子の主人公「マリエル」に、その当時すごく共感できて、ものすごく感情移入して見ていた自分と、
あまりにも常識に囚われず、自由奔放すぎて、でも自分の心に嘘が無くて、本当は優しくて、何かトラブルがあっても愛されキャラで憎めない小さなメモル。
最後はいつもどこか心があたたかくなるエピソードの数々に、心底宇宙人のメモルがうらやましいというか、腹が立つというか。
そんな感想を持ちながら見ていた子供の頃の自分を思い出して驚愕したところです。
「メモルなんて、大っ嫌い!どうして村長(祖父)はこの子を許して心配するの?なんで周囲はこの子を見捨てないの?」というのが、私のその当時の印象でした。
ただ、本当は心のどこかでメモルに憧れていたのだと思います。
やっぱりその世界観が大好きで。
なんだかんだで家の周りの庭や畑で遊ぶときには、空想の中でワタポコ(メモルのペット)を連れて歩いていましたし。
だから、本当は私、もっと自分の気持ちに素直になりたかったんだと思います。
でも、それができない理由もその頃の自分にはたくさんあったのだと思います。
ただ、どんな理由があったとしても、モノに当たってはいけませんよね。
それは弟に対する態度にかんしても、です。
本当は弟のこと、大好きだったのだろうけれど、結局自分の中の未完了な感情を昇華しきれずに、自分よりも弱い存在である弟に理不尽に当たっていた私は、本当に卑怯者だったな、と今でも思います。
小2だけど、ちゃんと分かったうえでやっていましたから。
だからなおさら、そんな自分に対する嫌悪感と、弟に対する罪悪感が積み重なっていって、結果、また同じことを繰り返してしまうという負のスパイラル。
小さな子供にも、感じる心はありますよね。
意外と、周囲や大人の感情を冷静に感じ取っていたりするものです。
あの頃の私の根底に居座っていたのは、愛されたい、認めてもらいたい、見捨てないで欲しい、テレビやアニメのように家族仲良くしたいから私なりに頑張ろうと思うけどやっぱり頑張りたくなくて空しい、大人同士嘘をつかないでください、私は誰の敵にも誰の味方にもなりたくないです、そういった願いだったのだろうと思います。
あの頃は、今ほど口が立つ私ではなかったので、大人に対してそれをどう表現して良いのか分かりませんでした。
変に遠慮して、そのことに勝手に腹を立てて、素直に甘えることができない、卑屈な子供になるばかりだということがまたしんどくて。
しかしその当時はきっと、周囲の大人も子供もみんなそれぞれ良かれと思って精いっぱいに生きていたのだと理解できる年齢になりましたし、私が勝手に大いなる勘違いをしていたことも多々あると思いますので、もはや何とも言えません。
確かなのは、私がしょうもない姉であったという事実と、それはもう本当に申し訳なかったということ、
常に私が悪い、私は利用されているけどそんなにうまくできない、私は劣っている、私はここに居るべきではない、と勝手に思い込んでいた子供のころの幻想を、どこかに置き忘れていたメモルの記憶と重ねてみることで、今一度自分を確認出来たこと、そして、それらのことを今の私が理解したということです。
メモルの祖父である村長が、どうしてあんなにも言うことを聞かない、自由奔放で我が道を行く孫のメモルを、どんなにたくさん叱ったとしても結局は許し、どうしてあんなにも彼女の心配ばかりしていたのかといえば、それはきっと、彼が無条件に彼女を愛し、愛されていたからだということ。
だからこそ、メモルのような生き方でも別に構わなかったのだと、今なら思えるのです。
No Comments
Be the first to start a conversation