祈りの力って、侮れないんですよね。病の人に、多くの人が「早く病が治ります様に」と祈りを捧げるという実験が在ったそうです。勿論、祈られる病の人には我がが祈られてる事は伝えません。すると、病の治りが早かったそうです。祈りって、通じるんです。でも祈り=ポジティブな念が効くという事は、呪い=ネガティブな念も効くという事です。それを効果的・効率的にやれるのが、霊能者さんという事ですね。勿論、やれるからやるという訳ではありませんよ。因みに生き霊は、霊能者さんじゃなくても才の在る人なら送るのは難しくないです。
遠隔で氣功の治療をやれるのも、祈りや呪いとそんなに変わりません。つまり、空間って繋がってるんです。地球の裏側から、宇宙の果てまで。繋がってるというか、空間って1個なんです。そりゃ、氣でも念でも届きますわな。届くというよりは、伝わると書いた方が適してるかもですね。因みにポジティブな念もネガティブな念も、我がが発した念は地球をグルッと1周して我がの元に戻ってきます。ポジティブな情報を乗せた氣もネガティブな氣を乗せた氣も、宇宙をグルッと1周して我がの元に戻ってきます。それは、忘れない方が良いですかね。
ただ、グルッと戻って来させないやり方も在ります。その辺、霊能者さんは巧いです。また幼い子も、巧かったりします。腕の良い氣功士は3年で死ぬ、という言が在ります。最も、それは昔の話です。今は3年で死ぬ様な氣功士は、とても腕が悪いと考えて良いでしょう。氣で人の体を治すと、疲れます。でもそれは我がの氣が減ったから疲れたのではなく、単に治療行為を行った事に縁る肉体疲労です。その肉体疲労を「治療で我がの気を使って我がの氣が減ったからだ」と捉えると、本当にそう成ります。そして3年で死ぬ、という訳なんですよね。
でも、氣は自然や宇宙から無限に取り出して使えば良いと考えてたらどうでしょう。人を氣で治せば治す程、我がが元気に成ります。自然や宇宙から取り出した氣を、我がをパイプとして患者さんに流すのですからね。我がの体も、良く成る訳ですよ。見えぬ世は、想いの力が強く働きます。言い換えるなら、思い込みが全てなんです。じゃあ、どれだけ効果的・効率的な事を思い込めるかなんです。その辺の事は、センスが問われるでしょう。後は、賢さですかね。何でもかんでも思い込めば良い、という訳でもないですから。まぁ、難しい所ですよね。
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