宇宙には、2種の人しか居ません。1種は弥生人で、もう1種は縄文人です。弥生人と縄文人は何が違うかというと、生き方が大きく違います。そして、持ってる価値観が大きく違います。物を重んじる弥生人に、心を重んじる縄文人。そして今からの世は、縄文人の世です。という事は、今からの世では形の有る物よりも形の無いもののほうが価値が高まります。要は、物はねぎっても良いんです。でも空間提供系のサービスには、むしろ多めに金を払った方が良いという事です。空間提供は、今からのビジネスで成功する為のポイントだったりします。
金のEと、物のEという2種が在ります。今までの世は金のEが低く、物のEの方が高かったんです。でも何れ逆転して、物のEより金のEの方が高く成ります。今までの世の常識では、とても考えれない事なのですがね。因みに今の金は、紙幣や硬貨です。でも何れは、金も形が無くなります。紙幣や硬貨ではなく、数字だけをやり取りする様に成ります。そしてその果てに、その数字のやり取りさえも要らなくなります。その時こそが、金のEがMAXと成って
物のEがゼロに成った時ですね。でもそう成るには、もうちょっとだけ掛かるでしょうね。
金とは本来、物の価値を保存する為の物です。でも今や、金はその役を果たしてません。果たしてたら、今日と昨日で金の価値が違うなんて事は起きてはいけません。また、日本とアメリカで金の価値が違うなんて事も起きてはいけません。でも現に、普通に起きてますよね。経済学は、完全情報と合理的判断を前提としてます。でも市場の全ての情報を把握してるなんて、在り得ませんよね。またちょっとくらい値が張っても、友から物を買いたいとか考えちゃうのが人ってもんです。つまり、経済学は学問として成立してないんじゃないかって話です。
金は、大事です。金が有れば、概ね何でも叶います。でも金は有れば有るほど良い、という考え方は危ないんです。それは、領土は広ければ広いほど良いという考えに繋がります。すると世は、戦で溢れます。金とは、引換券みたいなもんです。じゃあ金は何と引き換えれるかと言うと、自由です。でも金は自由と引き換えない限りは、只の紙きれなんです。自由はあの世に持ってけますが、金はあの世に持ってけません。じゃあ、金はこの世で稼いでこの世で使い倒さねば損ですよね。少なくとも、我がの葬儀代なんか貯めるのは余りオススメしません。
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