重い病が治り、生き延びる。その為には、病を治す事をゴールとしててはいけません。病を治した後に、何をしたいかをゴールとせねばなりません。病を治す事をゴールとしてては逆に病が治ってないという事にフォーカスしてしまい、更に病を重くし兼ねません。病や死を受け容れ開き直って生きたら、逆に病が治ったというのも似た様な理で起こります。病が治ったらあれがしたいこれもしたい、その想いが病を治します。つまり、一線を超えるんです。病が治るのは当たり前、だから病が治った後の世界(我がの状態)へとゴールを設定するんです。
これは、病を治す事に限った話ではありません。金を得る、がゴールでは金を得れません。金を得て何をしたいかが、ゴールなんですね。痩せたい、では痩せれません。痩せて何をしたいかが、ゴールなんですね。一線を越えた先、一歩だけ踏み込んだ先がゴールの世界です。金を得たいというのも痩せたいというのも、思いなんです。でも金を得て何をしたいかとか痩せて何をしたいかとかは、想いなんです。更に金を得てやりたい事をやって、何を想うのか。痩せてやりたい事をやって、何を想うのか。それこそが、望みと呼ばれるものなんですよね。
人は誰しも、思い通りの人生を生きてます。「え!そんな莫迦な?」と、思われる方も多いですよね。そんな皆さんは「え!そんな莫迦な?」という思いが叶った世界を、チャンと生きて居られるじゃないですか。「え!そんな莫迦な?」という思いが叶い「え!そんな莫迦な?」という思いの通りの人生を生きられてる訳です。じゃあ思い通りの人生から望み通りの人生へ移る為には、どうすれば良いのでしょうか?早い話が、望みを持てば良いんです。つまり病を治す事ではなく、病が治ったら何をしたいかにフォーカスすれば良いという事なんです。
私達は、空間から生まれ空間へ還ります。という事は目の前に広がる空間こそが、私達の本質です。我がを本質だと考え我がを中心として生きると、それはそれは辛い人生です。でも空間を本質と捉え空間を中心として生きると、我がも人も同じ様に尊べます。それこそが、貢献です。貢献が、条件に成ってませんか?愛とは本来、無償の筈。勿論、物理空間では物理的には難しい事です。でも情報空間なら、私達は想像力を使って地球の反対側に住む人の事さえ想えるんです。想像力を使えば人も我がも、皆を同じ様に愛する事が可能という事なんです。
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