人は、何時か必ず死にます。誰しも、それは逃れれません。じゃあ私達は、何で死を恐れるのでしょう?死ねば、死を恐れてる我がさえもが消えるというのに・・・それは、自己喪失感です。そして自己喪失感は、2つ在ります。1つは、我がが消えてしまう事への恐れ。もう1つは、我がが全ての人の記憶から消えてしまう事への恐れ。獣よりも脳が進化してしまったが故に、私達は死の恐れに囚われ易く成ってしまったんですね。でも死の恐れに囚われて人生を無駄にするのは、とてももったいないですね。じゃあ私達は、どうすれば良いのでしょう?
色んな点から考えてみたいのですが、先ず死の恐れなんて要らないんです。少なくとも、現代の日本の社会を生きる私達にとっては。確かに今の日本は不景気ですし、凶悪な犯罪や悲しい出来事も起きる時は起きます。でも日本ほど、裕福で安全な国が他に在るでしょうか?世のセレブは、結局は六本木に住みます。何でも在って、しかも多くの店が24時間営業。そして何より、安全なんです。それこそ事件にでも巻き込まれない限り、一般人が餓死する危険性はゼロに近いです。不正受給者が問題なだけで、場合に依っては生活保護だって受けれます。
死の恐れを、変換・転換する事も可能です。つまり何時か必ず死ぬ事を恐れるのではなく、何時か必ず死ぬんだから今を一生懸命に生きようというやつです。虎は死んで、皮を残します。では人は・・・私達は死んで何を残しますか?人は死んで、名を残すんです。ここで言う名とは、名声とか名誉の事ではありません。皆さんも戦争とかの戦没者記念碑とかを、見られた事が在るかと思われます。そこには多くの戦没者さんの、名が刻まれてますよね。戦争の是非は、ここでは問いません。しかしながら彼等が居たからこそ、今の私達が居るんですよね。
死の専門家といえば、今までは宗教家さんでした。でも科学の進歩で、死もまた解明されつつあります。むしろ今までは、科学では死を明確に定義できなかったんですね。霊なんて、居ません。そしてあの世なんて、在りません。でも在ると設定する事で、人の役に立つ事も在るんです。それは氣功と同じです、在ると設定して使うと人の体を治せたりするんです。死やあの世でさえも、今や利用するものです。じゃあ勿論、娯楽としても使えます。死ぬも遊び、生きるも遊び。幼い子が遊ぶ様に、全身全霊を賭けて一生懸命に遊び倒せば良いんです(笑)
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