親の遺伝子が優れてるからって、子の遺伝子が優れてるとは限りません。と言うと、語弊が在るかもですね。人の能力を決めるのは、親の遺伝子ではなく生活環境です。つまり、教育です。どんな親から生まれようと、チャンと育まれれば良い子に育ちます。まぁ確かに、肉体形状やら運動神経やら五感感覚は親からの遺伝も在ります。親と子の顔は似てるもんですし、足の速い親からは足の速い子が産まれ易く耳の良い親からは耳の良い子が産まれ易いです。でも、その程度の事が何だと言うのでしょうか。そんなの幾らでも、ひっくり返せる訳ですよ。
生まれつき人よりほんのちょっとだけ足の速い子が居たとして、でもその子は走る訓練なんか何もやってない訳です。じゃあ走る才を持って生まれなくても毎日の様に走る訓練を重ねてる子と、駆けっこで競ったなら・・・そりゃ、才は無くても訓練してる子が勝ちますよね。生まれより、育ちなんです。でもまぁ、チャンと育ててくれる親の元に『生まれ』るのは大事なんですがね。日本の政治家さんの殆どは、親も政治家さんです。それはもう、世襲制と言われてもおかしくない確率で。やはり現実、未だにそういった事って残ってるという訳ですよ。
人は、生まれで差別されてはいけないんです。だから将来的には、我が子を育てるというシステムも消えるでしょう。全ての子は産まれたら、保育園(託児所)の様な所に送られます。そこで子を育てるプロフェッショナルに、公平に育ててもらう訳です。今や、親が我が子を殺し子が我が親を殺す世です。親が子の育て方を謝り親が子の夢を潰すなんて、よく在る話です。じゃあもう、プロの任せた方が良いんです。そうすれば我が子だけを特別に扱う様な事もし無くなるでしょうしね(そもそも、どの子が我が子かを解らなくさせれば良いんですし)。
じゃあ何で子を産むかと言われれば、それはもう社会貢献でしょう。SFの様に自然妊娠・自然出産ではなく、試験管ベイビーなんてのが当たり前の世に成るかもしれませんしね。何十年後、何百年後の事なんて解らないですからね。我が子が最も愛おしいのは、親としてというか生き物として当たり前の事です。でもそれは、親の理であり獣の理です。見ず知らずの人の見ず知らずの子を、我が子と(全く同じとは言いませんが)同じ様に愛せる。それこそが、人の理です。そして世は、ほんのちょっとずつそちらの方に流れが傾いてきてるんですよね。
No Comments
Be the first to start a conversation