因縁果

Fortune Tarot

占いは、あくまでも占いです、占いの結果を信じるも信じないも、自己責任というやつです。しかしながら、自己責任って何でしょう?今の日本で自己責任とは、自業自得と同じ意味で使われる事が殆どですよね。でも仏教的に考えると、自(己)なんて在りません。在りもしないのに、何の責任を取れば良いのでしょうか?結論から言うと、人の夢は応援せよって話です。幼い我が子が「大きく成ったらアイドルに成りたい」と言ったら、周りは応援したげましょう。どんなぶっ飛んだ夢だろうと、我が子が抱いた夢は親の影響を必ず受けてるからです。

危ない地に行って危ない奴等に捕まっちゃう人が、たまに日本人で居られます。そんな時に世論は概ね「自己責任だ」とか言って、随分と冷たいもんです。でもまぁ、これこそ自業自得っちゃ自業自得なんですけどね。でもですよ、その捕まっちゃった人が日本から出国する事を許したのは、日本国ですしね。だから全く責任が無いとは言い切れず、ほんのちょっとだけでも責任の一端は在るんじゃないんですかね。話を戻すと、自己責任と自業自得は違います。人の夢は、大いに応援すれば良いんです。俗に言うバチは、神さん仏さんが当てるもんです。

責任は、取るものだと捉えてませんか?実は、違います。責任は、果たすものです。試合で負けた後で部員に「負けたのは御前達のせいだから責任を取れ」なんて言う監督は、おかしいですよね。試合が始まる前に「さぁ、共に責任を果たそう」と部員に声を掛ける監督の方が僕は好きですけどね。さっきも書きましたが仏教的には、我も自も己も在りません。在るのは関係、つまり縁起だけです。言い換えるなら、縁起は在っても因果は無いんです。勿論、物理法則としての因果は在りますがね。だからまぁ間を取って、因縁は在っても良いかもですね。

貴方が川で洗濯をしてたら、川上から赤色のボールが流れてきました。貴方は、その赤色のボールを取りました。暫くすると、川上から今度は青色のボールが流れてきました。その時「先ず赤色のボールを取ったから次に青色のボールが流れて来た」と、貴方は考えますか?そんな事、考えませんよね。誰から川上から赤色のボールを流した後に青色のボールを流した、ただそれだけですよね。つまり赤色のボールを取ったという過去は青色のボールが流れて来たという現在と、何の関わりも無いという事です。因果が無いという意味、解って頂けますか?

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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