祖の宝
三種の神器といえば、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣ですよね。つまり鏡・玉・剣なのですが、これこそが今までの祖の世の考え方・生き方の3本柱でした。前にコラムで昼の世と夜の世の、理と法の違いを書きましたよね。昼の世は『自由・共生・進化』という天の理と人の法が、イコールに成る。夜の世は天の理と矛盾する『不自由・闘争・退化』が、人の法と成る。それを、もうちょっと詳しく書かせて頂きます。夜の世の中でも祖の世の理、そして昼の世の中でも皇の世の理。今回は、祖の世の『鏡・玉・剣』という理について書かせて頂きますね。
鏡
鏡は、信じて従う事を司ってます。つまり偉い人のマネをすれば、今までの祖の世では巧く生きれた訳です。とにかくマネるんです、あたかも鏡で写す様に・・・弥生時代より後の農耕民族的な生き方は、マネる生き方でも在ります。つまり隣の人が米を作って売って儲けたなら、我がも米を作って売るんです。隣の人が芋を作って売って儲けたなら、我がも芋を作って売るんです。後は単純に、宗教という事ですね。それは教祖と信者、更には王様と奴隷。つまりピラミッド型の支配構造を表します。これは書いてるだけでも、嫌な感じに成りますねぇ。
玉
玉は、金を司ってます。昔の偉い人は、大きくて美しい玉に紐を通した、ネックレスをしてました。これが地位や権力の、象徴でした。その玉が、今で言う所の金銭という訳です。そしてこの玉は、時として女でも在りました。今の世では考えられない事かもしれませんが、女の人が金の様に扱われた時も在ったんです。先ず、金やら女やら与えるんです。そうやって周りを、我がの言う事を聞く様したんですね。金は大事です、無ければ生きてけません。でも金より命の方が、尊いに決まってます。そんな当たり前に事さえ、通じない世だったんですね。
剣
剣は、力を司ってます。金を与えても従わない奴は、剣で脅すか攻めるかして従わせるという事です。その名残が、ネクタイです。ネクタイの形は、剣に似てますよね。サラリーマンは、正に企業戦士な訳です。そしてそんな権力者達の駒として使い易い優れた兵士を作るのが、今の学校・教育制度という訳です。兵士に個性は要りません、ただ何の疑いも持たずに権力者達の為に搾取されてれば良い訳です。そして情報も、剣に含まれます。情報を制する者は、世界を制するんです。だから権力者達は情報をコントロールする事で、民を支配した訳です。
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