何を言っているか分からなかった頃
今でこそ、ちょっとだけ難しい本だったり、自分らしく人生を生きるためのアドバイス的な本なんかが読める私ですが、つい4年前まではそこに何が書いてあるのか全く理解できない人でした。
もちろん文字は読めるし、書いてある言葉の意味は分かるのですが、その土俵に入っていけないというか、にわかには信じられないというか。
例えば、今なら【「しなければならないこと」よりも、「したいこと」にフォーカスしましょう】みたいなことを、さらっと言えたりするのですが、あの頃の自分は変な呪縛に囚われていたらしく、【「したいことばかりしている奴」にはいつか罰が当たる】と普通に思い込んでいましたので、この本に書いてあることはちょっとおかしいんじゃないの?といった感じでした。
その頃の私の生活環境はあまりにも「しなければならない」ことだらけで、思考が停止して(考えることを忘れて)いて、ワクワクとか楽しいとかいう言葉で誘ってこられても、今さら夢を見ることさえ馬鹿らしい、というより楽しむとかワクワクだけを考えて生きるなんて罪だ、楽しいことを妄想するなど「ただの現実逃避でしかない」と、勝手に決めつけていました。
そんなことを頑なに考えて譲らなかった私が、今や好きなことだけして生きているわけですから、驚きです。変われないと思い込んでいる人、(私がこうなれたのだから)変われますよ。
こんな自分だからなおさら思うのです。
私がここにこうやって書いたり、お話しさせていただく内容にイマイチ「ピンとこない」方もいらっしゃるかと思いますが、心配しないでください、と。
私の場合は理解するのに3~4年かかりました。変わろうという決意さえ揺らがなければ、誰でも変わることは可能です。
もしもあの頃の自分のままだったら、40歳を過ぎてもどうでも良いことに必死になって、求められるがままに頑張り過ぎてボロボロになって、「私らしい」人生を無駄にしていたかもしれません。
もしかすると、「もっと私はこうしたかったのに、〇〇のせいで・・・」などと、周囲や環境のせいにして愚痴ばかりの偏屈ババア(失敬)になっていたかもしれません。
今の自分のように「心から楽しいと思えること」をやって、それで誰かが喜んでくれて、そのことで自分も幸せを感じることのできる人生に切り替える、ただそれだけでよかったのに。
そもそもそんな世界は特別な人たちにしか訪れないのだと、どこかで考えるのをやめている自分がいました。
最後まで読み進める気にもなれない、バカバカしい内容の本たちには心底がっかりしました。(← いや、本当に失礼極まりない発言ですが。今はそれぞれ素晴らしいと思えます。)
「こう生きるのが正しい」という自分のこだわりや世間の常識や「この先こうなるかもしれないからこうしておきなさい」といった企業の煽りに素直に巻き込まれては散財し、そうではないたくさんの選択肢があることにすら気がつかずに生きていました。
しかも、そんなゴミみたいな生き方こそが、私みたいなやつには相応しいのだと思い込んでいました。(エフィカシーのエの字も知らなかった時代です)
自由に楽して生きるなんて自分にはありえない、と。
確かにそれほど悪くはない人生だったし
上を見ればキリがないと思えば思うほど、下を見てもキリがないのだと思えてしまうことが、良くも悪くも無難に生きるコツなのかなんなのか。
「私はまだこういった環境の人たちに比べれば幸せなのだ」と、世界中のいろんなニュースを見てはどこか安心してしまう自分がいました。
でもそうやってどこか誤魔化しながら生きている自分は、
・なんとなく心が落ち着かずモヤモヤしていて
・経済的にも見えない不安に苛まれ
・人間関係についてはなんだか億劫になり
・体調もパッとしない
いたって普通の人間だったと思います。
未来にワクワクすることを忘れ、
このままだと先はどうなるか分からないし、未来は不安だらけだし、安心できる保証もないしと保険の見直しをしたり、年金について調べたり、やたらご先祖様に手を合わせてみたり。
なんとなく居心地が悪い気もするけれど、決してダメな人生でもないし。
だから、ここに居続けても別に悪くないのかも。
・・・これの繰り返しでした。
誰と何処にいてどんな時間を過ごすのが理想?
今さら理想とか持ってみたところで、現実はこうなんだからどうしようもないし、と思っていました。
「過去、こうしていたらこんな人生になっていたかもしれない」という、過去の生ごみを嘔吐リメイクという、しょうもない妄想をして遊ぶのは大好きでしたが、
「もしかしたら、私には私らしく煌く素敵な未来があるかもしれない」という、変えられるはずの未来をイメージすることは苦痛でたまりませんでした。
そのくらい、自分が将来つかめるかもしれない「自由で豊かな人生」と現実に向き合うのが怖かったのだと思います。
自分のやりたいことで生計を立てるなんて考えられなかったあの頃が、嘘のようです。
自分の好きなことが何なのかさえ分からなくなっていた自分には、とてもハードルが高い、夢のような話だったと思います。
とはいえ、「嫌いなことや、仕方なくやっていたことにしがみついていた人生」よりも、「好きなことをやっている今の生き方」は、たとえ収入が不安定だとしても、めちゃくちゃ楽しい毎日です。
人は満足したら終わりです。
そこそこの人生でいいや、となってしまっては、もうそれ以上はないということです。
つまらない人生に後悔しなければ良いのでしょうが、
「今もしここで人生が終わってしまうとして、あなたが真っ先に後悔するのはどんなことでしょうか?」
という質問をまずは自分に問いかけてみることです。
ちなみに私は、だいぶいろんな失敗を重ねてきた人ですが、後悔することはひとつもありません。(気を悪くした方がいらっしゃればごめんなさいね)
しかし、「あの時、思い切ってやっとけばよかったかな~、私らしくなかったけど、ま、いっか。だから今があるんだし。」と、懐かしく思うことはあります。
時間がかかっても良いではありませんか。
たとえ志半ばで旅立つことになったとしても、それを「やっていた」か、「やらなかったことに後悔した」かでは、人生の満足度が大きく変わるとは思いませんか?
「じゃあ、それをやるためにはどうしたらいいの?」と考えることが、とても大きな意味を持つ(あなたらしい未来への)記念すべき第一歩なのです。
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