そんな世界があるわけないと思っていた
今からずいぶん昔のこと、まだ幼かった息子と本屋さんに出かけた時、1冊の本が目に留まりました。
「あなたの才能をお金に換えるには?」というようなテーマの本で、手に取ってめくってみた最初の数ページには、「大好きなことをやりながらお金も十分にある状態を両立させることは可能です」というようなことが書いてあったのですが、いろんなことにくたびれていた当時の私は、「そんなことができたら、こんな暮らしになってねーわ。」と、心の中で悪態をついたのを覚えています。
その頃の私といえば、家のこと、仕事のこと、子どものことなど、とにかくやることがたくさんで、いかにそれらを効率よくこなしていくかに精一杯な生き方をしていました。
なんだか申し訳ないですが、とにかくひどく疲れていて、楽しむどころかウンザリするような毎日だった、としか表現できない自分が居るほどです。
未来のことについても、なんとなく「いつかお金や時間に余裕ができたら」「いつか子どもに手がかからなくなったら」、何か自分でしてみたいかも、などとうっすら憧れを抱きながらも、具体的に何がしたいかまで思いつくことはなく(実際はそんなことをゆっくり考える余裕も無く)、とりあえず目の前の生活を維持するために、その日やるべきことをやっていくことが日々の暮らしになっていた気がします。
今だから思えるのですが、「やりたいと思うことは、やってみれば何とかなるものだ。」ということを、その頃の私は心身ともに「よし!信じてチャレンジしてみよう!」と思えるような状態ではなく・・・
ただ、いぶかしげな顔でずっとその本を見つめている私に何かを感じ取ったのか、「その本、買って読んでみたら?」という息子の声に従って買ってはみたものの、読もうとしても中身が入ってくるどころか、内容に疑いの目を向けるばかりのしょうもない自分が居りました。
そもそも、その時の私は、「好きなことをやっているだけでちゃんとお金も稼げる人って、きっと限られた世界の人だけで、私なんかには関係ない」と思っていましたし、「どんなにワクワクすることをイメージしてみても、ただむなしいだけ」と思い込んでいましたので、このような反応になるのも仕方なかったのかもしれません。
きっと、実現させようとしても、うまくいくかどうかも分からないし、どうせ笑われるか反対されるだけだろうし、だったら思うだけ無駄だし、やっぱり今の私には無理だから。
じゃあ、いったい私は何がしたいの?
毎日が追われるように過ぎていく中で、むしろ何もしたくない気持ちの方が強いときに、「あなたにとって楽しいことやワクワクすることは何ですか?」と訊ねられても、何も考えられないか、もしくは「そんなこと考えて何になるの?」とムッとするだけでしょう。
ただ、今の私が客観的に振り返ってみて思うのは、あの頃の私は決して「ものすごく不幸というわけでもなかった」ということ。
最高でもなければ、絶望的でもない。
だからこそ、グズグズ足踏みばかりしていたのだと、今なら思います。
その割には、自分のやりたいことをやっているという満足感や、自分が自分らしく煌いているという実感は、ほぼ無かったな、ということもまた然りです。
むしろ、そんなことをいちいち考える余裕も、そういったことを感じる時間も、敢えて自分から捨てにいっていたような気がします。
繰り返しになりますが、毎日時間に追われているような気がする暮らしの中、いろいろと窮屈な環境ではあったけれども、ものすごく不幸かといえば、そうでもなく。
きっと「平凡に生きる」とはこんな毎日のことをいうのだろうな、とどうにかして自分自身を納得させようとする自分もいた気がします。それを、「無難な暮らしに感謝することが大事」などと言えばそうなのかもしれませんが、どこか物足りなさがあったのも事実です。
本当に、何が自分にとって楽しいかも、何が好きなのかもすぐには思いつかないくらい、その時の自分は疲れ切っていて、どこか感覚が麻痺していたのだと思います。
もし、この文章を読まれていて、かつての私と同じような感覚だと思える方が居たらお気をつけください、相当おつかれのようですから。
どっちの生き方もありだけれど
もちろん、一足飛びに今のような生活が手に入れられたわけではありません。
しかしながら、またあの頃の生活に戻れと言われても、それはもう無理です、としか言いようがありません。
やりたくないこと(だけどやらなければいけないこと)を必死に頑張って、ものすごく不幸ではないけれど、気がつけば自分自身が空っぽで、くたくたになっていたあの頃。
心からやりたいことをやって、それを誰かに喜んでもらえて、自分自身も幸せや喜びを感じられている今。
確かに、今の私は個人事業主ですので、決して安定した収入が保証されているわけではありません。
大きな買い物などは計画的にしなければならないですし、自分できちんと目標や目的を更新しない限り、毎日をダラダラと過ごしてしまうことになりかねませんので注意が必要です。
しかしそれ以外のことに関しては、基本的に毎日好きなことをして暮らせていますし、休日を決めるのも自由、休み時間をどう過ごすかも自由です。
基本的に関わりたい人たちとだけ関われますので、職場の人間関係で窮屈な思いをしながら働くことからも解放されて、精神的にも穏やかに過ごせています。
今の私のマイペースな暮らしは、「自分の人生を自分で選んで生きている」という実感を強く与えてくれている気がします。
私が私で生まれてきて良かったと、こんなにも思える日が来るなんて、です。
かつての自分は苦労を買ってでもして、家族の暮らしに必要なことを積極的に背負って生きるのが徳のある人生だと、いつかその分幸せになれるのだと刷り込まれて信じていたけれど、手放してみた今となってみれば、別にそうでもなかったのかもしれないな、と苦笑いしてみたり。
別に私が居なくても、それぞれの人生はそれぞれに続いていったわけで、別に私がその当時やっていた仕事を辞めたとしても、他の誰かがその役を引き継いで続けられていっただけのことですから。
そう考えると、その当時は「私がやらなきゃ!」と思ってやっていたけれど、「絶対に私がやらなければならないこと=私にしかできないこと」ではなかったように思えてくるのです。
むしろ、今の仕事の方が、「私だからできること=私にしかできないこと」に変わってきているような気がします。
それに、苦労した分だけ絶対に幸せになれるかといえばそうではないのが世の中ですし、幸せになれなかった時の責任を誰かがとってくれるわけでもない世の中ですから。
現に、今こうして気楽に生きていても、特に問題なく過ごせている自分が居ます。
無理をして頑張らなくても、自分の中にあるものを与えたい人に与えるだけで、それ以上の学びや喜びがもたらされる世界に、今の私は居ます。
もちろんこれは私に限ったことでなく、これを読んでいるあなたにも可能な生き方だったりします。
現在の自分の暮らしの延長線上には、どんな未来が見えていますか?
もし、素晴らしい未来が思い浮かんでいるのであれば、ぜひそこへ向かって、楽しみながら進まれてみてください。
それらが実現すると信じています。
もしも今のままだと・・・かつての私のように物足りない人生になってしまうと感じるのであれば、少しづつ変化を起こしていきましょう。
まずは、何か物足りないけれど無難なように思える現状を、「これじゃない」と思うことからスタートです。
好きなことに取り組む時間は、決して無駄ではなく、必要な時間だと私は思っています。
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