僕は催眠術師さんでもあり、気功師でもあります。気功師として体や心にアプローチを掛ける事も在れば、祓師さんとして霊を祓う事も在りますがね。気とは便利な概念だと思う反面、気という概念が在るからメンドいと感じる事も在りますよ。気功の巧くない人は、気功で人の体を治せば治すほど我がの体を壊します。お祓いでもそうです、腕の悪い祓師さんは我がの命を削って霊を祓います。これ等の点が、気という概念を使うデメリットなんですね。勿論、キチンと気功を学んだ気功師や祓師さんならばこの様なヘマを踏んだりはしないのですがね。
そしてそもそも催眠術師さんにとっては「何の事?」って話です。催眠を使えば、気功と同じ様な事をやれます。勿論、気(という概念)を使わずにです。気とは、要は思い込みです。気功施療では、施療者も少なからず体を動かします。また、患者さんの病を治さなければならないというプレッシャーも在るでしょう。だから気功施療をすると、疲れるんです。その疲れを『気功で我がの気を使ったから疲れた』と思い込んでしまうから、人の体を治せば治すほど我がが病むんです。人の体を治す腕は良くても、その辺の事が巧くない気功師も多いです。
現代社会に於いて、気功はオカルトにカテゴリーされてしまうでしょうね。つまり、常識人は気功が巧くないという事です。逆に「私は神さんだ」とか狂ってる人の気功は、よく効きます。でも今や21世紀です、全てではないにしても気功も科学的に解明されつつあります。ですからキチンと気功を学べば、気を信じてなくてもキチンと気功を使い熟ます。それこそが科学、再現性というやつです。科学的に分析された気功の事を、現代気功と呼ぶ人も居ます。まんまですが、確かに言い得て妙です。気=生命エネルギーなんて、古い考えなんですよね。
だからと言って、気=生命エネルギーだとか自然のエネルギーという事も誤りではありません。気功で体を治すのは極論、患者さん自身の自然治癒力を高める事だからです。何度も何度もブログでも書いてますが、気=情報です。と言うよりも、情報を入れる無色透明な器と言っても良いかもしれません。気という言語で、空間にプログラミングするんです。何も無い空間に、機能=役を与えるんです。それは、日本の茶道や華道の考え方に通ずるものが在りますね。空間は、ほぼほぼ無限に在ります。気功を覚えれば、その全てが貴方のものに成ります。
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