氣功を受けると、温かさや涼しさを感じる人が居られます。人に依ってはピリピリとした刺激感という事も在れば、何かは解り難いけどほんのちょっとだけ何かを感じるという人も居られます。氣を感じる力も氣の感じ方も、人に依り違います。どれが正しくて誤りという事は無いですし、感じれるから優れてる劣ってるとかも無いです。また氣を肌(触覚)ではなく、視覚や聴覚や嗅覚や味覚で感じ易い人も居られます。でもポイントは、人に依って違うという事です。人に依り違うという事は、氣を感じるという事は物理的な事ではないという事です。
そもそも、氣自体が情報的な存在です。つまり頭の中という、情報空間にしか在りません。しかしながら物理空間は、情報空間の底です。物理空間と情報空間がその様な関わりだからこそ、情報空間にしかない氣が物理空間に影響を与えれるんですね。じゃあ氣という存在が頭の中に在る=氣を信じてる人にしか氣は効かないかと言われれば、それはNOです。氣を信じてない人に対しても、氣は効きます。勿論、そこから更に効き目を高めれるかは氣を使う氣功師の腕次第ですがね。そう考えると、氣というか氣功師ってな凄い力を持ってるんですよね。
氣が情報空間にしかない情報なら、私達もまた情報です。私達の体は、遺伝子という情報で作られてますしね。物理空間は情報空間の底というのも、解って頂けるのではないでしょうか。でも実は、情報空間の真の底は物理空間では在りません。物理空間の、更に下が在ります。それが、矛盾です。そもそもここで言う所の上とか下というのは、抽象度の事です。抽象度の最も上は空で閉じてて、抽象度の最も下は矛盾で閉じてるという事です。そして私達の住む物理空間は、矛盾の1つだけ上に在るという事です。では、いったい矛盾とは何でしょうか?
抽象度が高いという事は、それだけ持ってる情報が少ないという事です。つまり空は、世の全ての物・事よりほんのちょっとだけ持ってる情報が少ないんです。じゃあ矛盾は、世の全ての物・事(・物理空間)よりほんのちょっとだけ持ってる情報が多いんです。例えば、羽の生えた馬。物理空間には、羽の生えた馬は居ません。そんな物理空間の猫に『羽が生えてる』という情報を加えたものが、羽が生えた馬という物理空間には居なくて物理空間より下に居る矛盾した存在・矛盾そのものです。宇宙は上は空、下は矛盾という情報で閉じてるんですね。
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