恋愛は「契約」ではありません
過去の恋愛が、まるで重たい金属の足枷(あしかせ)のように、その人の人生から恋愛の楽しみや自由を奪っていることがあります。
しかし、実際の足にそんなものがぶら下がっているかといえばそうではなく、結果的に自分の心が作り出した妄想です。
私にも経験があるのですが、通販ですごくワクワクしながら購入した商品が残念な品質だった時のショックと悔しさ。
返品すれば良いだけのことですが、その手間がめんどくさくて放置しておくと、その商品が目に入るたびに嫌な気持ちになるという、さらにめんどくさいことになりがちです。
恋愛とモノは違うけれど、自分の中で結果が出ていることやそれに関わって「失敗したかも」と思うことに、いつまでも引きずられることがあるという点においては同じことです。変なモノをつかんでしまった時は、とっとと目に入らないところへしまうか処分してしまうことです。そして、納得のいく新しいモノを手に入れてしまえば、さらにその商品の良さが際立つというもの。
特に恋愛には「特定商取引法」のような法律はないのですから、付き合うも別れるもお互いに自由なのです。
「一度深く関わったからには、ずっと大事にしなくてはならない」という間違った思い込みで生きている人もいるようですが、人間関係は水物です。そのときの条件によって変わりやすく、予想しにくいモノであるということですね。
だからこそ、付き合った先のことなんて分からなくて良いのです。
結果が分かっていたら逆に面白くないはずです。「上手くいくから」と天狗になったり、傲慢な態度をとるようになったら、途端に風向きが変わってしまうでしょう。
その先が分からないから相手を理解しようとするのであって、大事にしたいから互いに思いやり、相手を喜ばせようとするのですから、手探りの方が良いのです。
恋愛の罰則規定もありません
途中で「最初に思っていた人と違った!」と思えば、別れて良いのです。お互いの人生の時間を無駄にしないためにも、きちんと別れることができるって大事なことです。それもひとつの恋愛スキルだと思います。
「こじれると面倒だから」とズルズルとひきずっていても、何も変わりません。
自分の心に嘘をつきながら生きることになりますので、妙にモヤモヤしながら過ごすことになり、結果的に他のことにまで悪影響を及ぼすことになります。
恋愛で幸せを感じる権利はあります
恋愛で「恋しくて恋しくて苦しい」「好きすぎて相手のことが信用できない」というような、おかしな方向へ行ってしまっている人も見受けられます。
まずは、「好きと思える人に出逢えてうれしい、幸せ。」と思えることが前提ですし、「自分には愛される価値がある」と自信を持つことです。
そもそも好きな気持ちに強弱の国際基準などありませんし、好きの度合いを周囲や何かと比べるモノではありません。
「私と○○どっちが好き?」と言ってしまう時点で、ちょっとずれていることを認識された方が良いです。残念ですが、お友達にそれを質問しても心の中で苦笑いされるか嫌われるだけかと思います。
「どっちも好きだけど」と答えられると機嫌を損ね、「今は〇〇の方が好きかな」と自分以外の方を答えられれば何よそれ!と激昂し、「私を好きに決まってるでしょ」と言われることを期待していたので、そう言われても当たり前だと自己満足し鼻で笑う・・・どうですか?こんな人が友人なり恋人だったら。まあ、これをお決まりのコントのようにお互い理解したうえでやっているのであれば良いのでしょうけど。
話がそれましたが、要は恋愛は楽しむものであり、自分から苦しみを得るために付き合うものではないということです。
「嫌われたくない」「捨てられたくない」ではなく、いかに「相手を喜ばせることで自分も幸せを感じられるか」ということにフォーカスしてみてください。
丸ごとの自分を好きでいてくれる相手は宝物です。
逆に「こんなお前だったら好き」という条件付けの好きを求めてくる相手はゴミです。
↑そんな人に好かれようとする努力は、自分らしくない生き方につながり、「相手に愛されるためにもっとこうであらなきゃ」という努力もゴミになり、行き過ぎると病を生み出します。
あなたは幸せを感じられるようなお付き合いをしていますか?
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