外側に希望を抱くのは自由です
人は、臨場感を持つことができれば、映画や小説の出来事でだって号泣することができます。
架空の出来事で泣いたり笑顔になったりできるなんて、人間ってすごいなと思いますが。
何が言いたいかというと、「もしかしたらあの人は私のことをこう思ってくれているかもしれない。」という妄想でだって、人は一喜一憂できるということです。
自分のことを棚に上げてはいけないので、私のこととして書いてみますね。
私は常に、相手の気持ちを「思いやる人」ではなく「思い込む人」でした。
今思い出しても恥ずかしいですし、ちょっともう、怖いですけど。
「きっとあの人は今、私のことをこんな風に思ってくれているはずだ。なんだか申し訳ない・・・。」と、勝手に申し訳なさがってみたり、
「きっとまだ彼は、私のことを好きでいてくれているはずだ。あぁ、どうしようごめんなさい・・・。」などと、勝手に切なくなってみたり、
こうやって書いていても気分が悪くなるくらい、相当残念な「メルヘン妄想女」でした。
ひとつ救いだったのは、私が勝手に自分に対する相手の気持ちを妄想して思い込むだけで、リアルなその人たちには、実際に迷惑をかけてはいなかったということでしょうか。
リアルにそんな態度で相手に向かって行っていたとするならば、これはもう、ちょっとしたストーカーというか、行き過ぎるとサイコパスか病気の人みたいになってしまいそうですけどね。
ちなみに、相手の気持ちをいろいろ妄想して、勝手にストーリーを創作したからといって、現実世界が何か変わるかといえば、何も変わりません。
特に、その人と距離ができてから時間がたっていればいるほど、相手が自分のことを四六時中考えていることなど、あり得ない話です。
このブログを読む5分前から今この瞬間まで、あなたは実際に何人の人のことをアタマに思い浮かべて、その人たちのことを愛していると思いましたか?
悩んでいるようで悩んでいない人たち
ここまで読んで、勝手に決めつけた思い込みで一喜一憂するのは恥ずかしいことだな、と思えた人は、ありがとうございます。
そうなんです。実際に今の相手がどう思ってどんな行動をしているかなんて、当の本人にしか分からない訳で。
相手を思いやること(慮【おもんばか】ること)と、相手の気持ちを勝手に妄想して思い込むこと(決めつけること)は、違うということですね。
「相手はきっと、私にこうして欲しいはず」が、「相手を最もイラつかせることだった」ということだってあり得るという話です。
でも、「そんなはずはない」と思いたければ、好きにすればよいと思います。
その人らしい生き方がそうであるならば、メルヘンチックな妄想ストーリーの中で、キラキラと輝きながら生きていくことを生きがいにするのもありだと思います。
誰にも迷惑を掛けないのであれば。
みんな死ぬときは1人ですし。
誰がそばにいようが、息を引き取るときは自分だけが当事者ですから。
現実に起きていることが答えなのですが、見ないフリをして、誰かや何かのせいにして、平気で嘘をつき続けることができるのも人間です。
どっちでもいいけれど
私の場合は、取り越し苦労や現実世界の変わらなさを直視すると、「思い込み」や「決めつけ」で一喜一憂することが馬鹿馬鹿しくなって、変に架空の相手の行動に振り回されなくなりました(というか、そういうのから卒業しました)。
でも、世の中にはどんなに虐げられても悲劇のヒロインでいたいという人もいますし、悪代官が白馬の王子様に生まれ変わって、いつかお迎えに来てくれるかもしれないと、真剣に考えている人もいます。
正直、私のことではないのでどうでもいい話なのですが、世の中にはもっと素敵な出逢いがあるし、もっと自由な恋愛もあるということです。
いつまでそれをやってみるか、期限は決めた方が良いかもしれません。
(これこそ、余計なお世話だと言われそうですが。)
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