相手は穴埋めの道具ではない
恋愛についてお話をしていると、「好き」とか「愛する」とかって何なんですかね?という話題になることがあります。
たとえばこれを読んでいるあなたは、どんな時に好きな人から「私って好かれているな~」「私って愛されているな~」と感じますか?
私も散々「愛されるとは?」という点において考え、自己嫌悪に陥って、ようやく今の心の平穏を手に入れることができたのですが、ここに至るまでは酷い心の状態を直視する必要がありました。
しかし、その心を理解することで、悩むことがバカバカしくなったのは言うまでもありません。
これはあくまでも私の場合ですので、ご自身とは違うかもしれませんが、参考になれば幸いです。
愛情や幸せは与えてもらうものではない
「なぜ好きな人(彼氏)ができてもうまくいかないのか?」
私の場合、うまくいかない時はたいてい「こうして欲しいのにそれをしてくれない」という甘えがありました。
・もっと話したいのに、相手はなんだかそっけない気がする。
・メールやLINEの返事が遅い。内容をちゃんと読んでいない気がする。
・私といるときよりも、他の人と遊んでいるときの方が楽しそうにしているのではないかと感じる。
・他の人には良くしてあげている(驕ったり、プレゼントしたり)のに、私にはしてくれていない。せめて記念日には何かプレゼントして欲しい。
・束縛は苦手だから、「こうした方が良い」とか分かったようなことを言わないで欲しい。
・・・書いていて恥ずかしいのですが、これを当たり前だと思っていたころがある訳です。
ちょっと紫晶さん、大丈夫ですか?と突っ込みたくなる気持ちは押さえていただきつつ、ですね。
恥ずかしいくらい残念な愛
全く別のパターンもありました。
「私が我慢して尽くしてあげればきっとうまくいく」という、ひとりよがりな愛です。
・黙って言うことを聞いてあげていれば、永遠にうまくやっていけるはず。
・相手に対して怒りをぶつけたり、何か意見を言うのは、面倒なことになるか、逆に相手にしてもらえなさそうだからやめておこう。
・我慢して苦労を続ければ、きっと相手も分かるときが来て、幸せになれるはず。
あららちょっとどうされました?何を言ってるんですか、紫晶さん・・・ですよね。
自分を殺して相手のために尽くして人生をささげるとか・・・しかも、我慢して尽くせば相手がきっといつか変わってくれるはずとか・・・いやいやいや、本当に大丈夫ですか?ですよね。
変わるわけないですし、残念ながら相手はもっと調子に乗っていくように感じられるだけですよ。
問題回避してばかりだと彼氏なんてできません
そもそもどうしてこんな私が過去にいたかというとですね・・・・
「誰からも愛されなかったらどうしよう・・・」という孤独や寂しさ、不安を回避するのに必死だったからです。
・私のことを本当に好きだったら、メールや電話は毎日でもしてくれるべきだ。
・私のことを愛しているなら、「好きだよ」とか「愛してるよ」とか分かりやすく言うべきだ。
・他の人よりも私と過ごすことの方を優先するべきだ。
・私のことが大事なら、小さなものでも良いからプレゼントを贈るべきだ。
・好きだからといって束縛されたくない。
こういった、しょうもない「前提」に私自身が縛られていたから上手くいかなかったわけです。
そして、そんな逆効果なことを何のために苦しんで相手に求めていたかといえば、
【それをしてもらわないと、相手から愛されているかどうかが自分で分からなくなって心が無駄にざわつくから】でした。
いやいやいや、自分の心をざわつかせたくないから相手に訴えるって、あなたどんだけ我儘なんですか???って話ですよね。
「あなたと安心してお付き合いを続けていくためにも(無駄に私の心を不安でざわつかせたくないなら)、私の彼氏なら必ずこうするべき。私を愛してくれているなら、絶対に私の望みに従うべき。私の気持ちを分かってくれて当たり前だよね?」だなんて、とんだ身勝手な勘違い女ですよね・・・
相手からすれば、信じられなくて心がざわつく程度の人ならそもそも付き合う意味がないし、自分は別にそんなことしてもらわなくても特に気にならないのに・・・ですよ。
「私のことが好きならこうするべき」とか、いちいちめんどくさい女だから別れよう、ってなりますよね。
好きな人に愛されたい(彼氏が欲しい)と思っても、そのために「こうあるべき」という「愛されていると感じるために避けなければならない嫌なこと」がたくさんあると、結果的にもっとしんどくなる状況に自分が勝手に追い込まれていくばかりです。
自分で自分の首を絞めていることに本人が気がつかないと何も変わりません。
大好きな彼と前に進みたいのに「こうじゃなきゃ安心して付き合えない」というブレーキがガンガンかかってしまい(アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなもので)、うまくいくはずがありません。
「我慢して尽くせば・・・」も、同じことです。
問題を回避して相手の顔色をうかがってお付き合いをしていけば、ケンカは起きないかもしれませんが、相手の男性は刺激が無くなって(退屈になって)あなたの相手をするのに飽きてしまうでしょう。そうなると残念ですが、大抵浮気されます。
相手から愛されないことが怖いから、自分の本当の気持ちには蓋をする。
何かを手に入れるためには、思い当たる嫌なことは絶対に避けていかなくてはならない。
だから、私が我慢する。
これではうまくいくはずがありません。
過去の愛されたかった記憶
過去をほじくり返すことは基本的におススメしていないのですが(人間の過去の記憶というのは概ね捏造トラップですので)・・・。
「自分は愛して欲しい人に愛されなかった」という記憶が本当に本当なのか?ということは、今となっては分かりません。
自分で都合良くでっち上げた記憶かもしれないからです。
そして、分からないからどうとでもなるのです。
そんなもの(過去の寂しい思いや不安や孤独感)に未来を奪われないと決めることです。
良かれと思って言ったことが逆に相手を傷つけてしまったり怒らせたり、不快な思いをさせてしまった経験が、誰しもあるのではないでしょうか?
愛情からしてあげたことが余計なお節介だと突っぱねられるって、子育てではよくある話です。
たとえ父親や母親であっても、未熟なひとりの人間なのですから、神様のようにあなたの全てを受容し100%慈しみの心で愛を伝えて、親があなたに心の奥底からそれを全部感じさせることなど不可能です。
これからのあなたが幸せになるとも不幸になるとも誰にも分かりません。
少なくとも現時点で、あなたの未来に100%いつ何が起こってどう感じるかなど、透視能力者でもない限り、絶対に確定している未来はありません。(死は確実にいつかは訪れますが)
幸不幸、どちらでも夢を見て良いのならば、不安に縛られた未来よりも、あたたかく愛を育みながら訪れる「幸せな未来」をまずは信じて、自由に夢を見てみませんか?
「私は何のために彼氏が欲しいのか?」
※問題回避ではない、自分の欲のためだけに相手を利用するのではない、目的を考えてみること。
「何のためにその人と絆を育んでいくのか?」
そう遠くない未来、素敵な人と互いに愛を育んでいるビジョンを思い浮かべてみてください。
私の場合は、愛とは以下のようなことであり、そのためにパートナーが必要だと定義を変えました。
・愛するとはお互いの生き方を尊重しながら自分らしく成長すること。そのために互いの違いを理解しあえる彼氏が必要。
・愛するとは、本来の自分の中にある「幸せになれるチカラ」を信じて、愛する人たちに与え続けること。
・愛とは誰とも比べる必要のないモノ。愛とは勝ち負けではないモノ。それを知るために相手の存在が必要であり、時に笑い合い、時にぶつかり合いながらも、2人でしか作れない絆を育んでいくこと。
未来に意識を向けて、愛することを定義しなおすと、あなたの「こうあるべきという過去の前提」が、恥ずかしいくらい自分にとっても相手にとっても迷惑で不都合で、あなたが相手と素晴らしい愛を育むための障害になっていたことに気がつくはずです。
他者に自分の心や問題の穴埋めばかりを求めるのはナンセンスです。
そんなこと、お二人の愛にはそもそも必要ありませんよね。
前提が変われば変化します。
素敵な恋は、もうすぐそこです。
【お詫びと訂正:以下のイベント開催日が誤っておりました。正くは24日です。訂正いたしました。よろしくお願いいたします。】
※11月24日(土)のイベントでは、スピリチュアルな縁結びの活動をされている方のセッションを行います。
場合によってはご縁のある方のご紹介に繋がることもありますので、気になる方はどうぞお問い合わせください。
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