全ての催眠は、実は我がに掛けるんです。つまり全ての催眠は、自己催眠なんです。それは、他者に掛ける他者催眠とてです。これを解り易く言うなら、自信ですかね。人に催眠を掛ける時に「必ず掛ける」という、自信。その自信さえ在れば全ての催眠を全ての人に掛けれる訳では無いですが、その自信も無しに人に催眠は掛けれません。催眠に限らず、自信の無い人の言う事や行う事って、何となくですが周りに自信の無い事が伝わりますよね。つまりは、そういう事なんです。全ての根っ子に在るもの、それこそが自信。自信こそが、源なんですね。
でも自信よりも、もっと大事なものが在ります。それが、確信です。じゃあ、自信と確信は何が違うのかって話ですよね。自信は、過去の積み重ねから生まれます。勿論、過去の積み重ねって大事ですよ。でも時に、それがスコトマ(心理的盲点)を生みます。例えば成功した人でも、我がの成功体験・経験以外の事にスコトマが掛かってる事が在ります。当たり前ですが、人は千差万別です。我ががそれで巧くいったからって、他の人も我がと同じやり方で巧くいくとは限らない訳です。成功体験は、確かに宝です。でも体験は。神さんではないんです。
しかしながら、科学は進歩しました。例えば脳科学、そして心理学。更に、この2つが合わさった脳機能科学。全ての人の脳の、作りと働きは概ね同じなんです。だからこそ脳機能科学に基づいた成功哲学なんかは、万人に等しく効きます。体験よりも学問の方が、抽象度が高いんですよね。抽象度が高いからこそ、より多くの人に当て嵌まるという事です。抽象度を高くする事は、私達の役にも立ちます。歩道に立って車道を走ってる車を数えるより、高いビルの屋上から下を見て車道を走ってる車を数えた方が楽チンじゃないですか。ま、そゆ事です。
我がさえ幸せなら良い、これを子の理と言います。これは獣よりも、抽象度が低い考えです。我がの身内さえ幸せなら良い、これを親の理と言います。これでやっと、獣レベルですかね。人は何で、募金とかするのでしょうか?一銭の得にも成らないのに、しかも日本の裏側に住んでる話した事も逢った事も無い人の為に・・・でもこれこそが、人の理なんです。そしてそれは、社会からの要請に依って行われます。つまりそこには、情動が入り込む余地が無いという事です。つまり、善悪ではないんです。淡々と、人としての役を全うするという事です。
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