催眠を、コミュニケーションスキルの1つだと考えてる人も居ます。確かに、それも誤りではないでしょうがね。そもそもコミュニケーションって、何かのオマケに過ぎません。例えば、野球が好きな人同士が居たとしましょう。放っておいても、勝手に話が盛り上がるでしょうね。でもこの2人が相手も野球が好きだという事を互いに知らなかったら、どうでしょう。つまり、こういう事なんですね。コミュニケーションで悩んで催眠を習う人も多いですが、共通の話題を見い出すという考えを持って人と話す方が遥かに楽なんじゃないかなと思います。
ビジネスにおいても、コミュニケーション能力は求められます。でも、真に求められてるのでしょうか?それはコミュニケーション能力ではなく、プレゼンテーション能力だったりします。今の世では、プレゼンにコミュニケーション能力なんて要りません。それこそ、パワーポイントさえ使い熟せれば何の問題も在りません。映像や漫画で、プレゼンしたって良いんです。それは最早、コミュニケーション能力とは別の能力でしょう。プレゼンのポイントは、相手の抽象度の高さを知る事です。相手の抽象度の高さに依って、営業の仕方を換えるんです。
ビジネスでもプライベートでも、コミュニケーションの肝は『人を喜ばす事』です。勿論、必ずしも相手が喜ぶとは限りません。ですから『人を喜ばそうとする』でも、全く構いません。社会貢献の一環で、募金やらボランティアをされてる方も多いでしょう。それは、社会から求められてるからやる訳です。インドの貧しい人は未だに輪廻転生を信じてて、来世で楽をする為に今世は苦しみたいと考えてます。そんな人達は、施しを受ける事を拒みます。でも、施すんです。何でかと言われれば、それが社会から求められてる事だからという事なんです。
人を喜ばすという事は、その人の言い成りに成るという事では在りません。我が子が遊んでて宿題をやってないとして親が代わりにやったげるのは、真に子を喜ばすという事には成りません。まぁ、子が我がで宿題をやるのを助けたげる位ですかね。その辺の匙加減を見い出すのは、かなり難しかったりもします。とは言え、絶対的な正解なんて無いですからね。コミュニケーションでは、我がの正しさを人に押し付けるのは厳禁です。勿論、それが法に触れる事だったら我がの正しさの枠を超えてますがね。目の前に居る人は、我がとは違う人なんです。
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