コーチングは100%、クライアントさんの為に行われます。これは、100%でなければなりません。でなければそれは、コロッと洗脳の側に転ぶからです。クライアントさんの利益の為に行われるのがコーチングで、第三者の利益の為に行われるのが洗脳です。因みに教育は、その中間でしょうか。教育は、皆の為に行われます。皆の為という時点で、100%ではないのでコーチングではありません。でも、この皆の中にはクライアントさん本人も含まれます。だから、洗脳とも言い難いんです。コーチングと教育は、セットで考えた方が良いです。
でも結果としてクライアントさんの利益に成るのか第三者の利益に成るのかなんて、最後の最後にしか解らなかったりします。となると、やはりコーチングを施すコーチの人格や倫理観に委ねられるといった所でしょうか。今の世で「私の趣味は人格を磨く事です」とか言おうもんなら「変な宗教でも入ったの?」と言われたりします。その癖に何か凶悪な事件が起きると、やれ人格がどうだとか騒がれます。普段は人格の事なんて全く考えてもない癖に、何とも勝手な話ですよね。そんなだから何時まで経っても、凶悪事件とかが無くならない筈ですよ。
我がの目で見た事しか信じないぞ、って方がたまに居られます。まぁテレビから流される情報を信じちゃう様な方よりも、マシと言えるでしょう。それでも、何とも言えませんがね。だって、我がの目の信憑性も大した事はないでしょうからね。人は、見たいものしか見ません。その様に、人の脳は作られてるからです。なのに我がの目で見た事だけを信じてたら、何時まで経っても成長・発展・進化なんか望めません。じゃあどうすれば良いかというと、常に学び続けるしかない訳です。でも学ぶからこそ、スコトマ(盲点)が生まれる事も確かですが。
学ぶという事は、新しい色眼鏡を手に入れるという事です。でも何も学ばずたった1つの色眼鏡だけを使って生きるよりも、よっぽど良いんです。学ぶと色眼鏡が増える、そう頭の隅に置いとくだけで大丈夫です。真にスコトマ(色眼鏡)を取りたいなら、座禅でも組んで瞑想する他は在りません。でもそれも一時的なもの、瞑想中に限られてます。それでも全てのスコトマが外れた感覚、それを体感しとくというのは価値が在ります。空の境地・悟りは、座学だけでも実践だけでも解れないんです。その2つがセットで、初めてバチッと解るんですよね。
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