僕の知人というか先輩で、学生時代にとてもとてもショックな事に襲われた人が居ます。そのとてもとてもショックな事に襲われた当時は、何を食べても味がしなく成り視界が白黒に成ったそうです。更には、幻覚や幻聴にまで襲われて・・・そしてその人は、1つの事を決める訳です。「吉!死のう!」すると、そういう訳でしょう。味覚も視界も元に戻り、減額や幻聴も消えました。心もスッキリ、体も元気。そんな状態に、成ったんです。だからその人は、こう考えたんです。「あ!心も体も良く成ったのは自殺するという決断が正しいからだ」と。
結論から言うとですね、人の脳は何かを決めると心をスッキリさせるんです。そしてポイントは、その決断の内容はどうでも良いんです。とにかく、迷ってるとモヤモヤ・イライラとするんです。勿論、その迷ってる内容も何だって同じです。人の心と脳の、仕組と仕掛ってやつです。そして上記の話の顛末としては、心がスッキリした事で運が開けたんです。で人生の師と運命的に逢って、生き続けると再決断したという訳です。まぁこの話が良い話か否かは別として、さっきも書きましたが脳と心の仕組と仕掛が解るエピソードでは在る訳なんですね。
占いをやらせて頂いてると、クライアントさんから嬉しい御感想を頂く事も在ります。その中で多いのは、やはり「心がスッキリした」です。人に縁っては「占いを受けた翌朝、久し振りにスッキリと目が覚めた」なんて事も仰って頂けます。占師、冥利に尽きます。でも人に縁っては「何だ、心がスッキリするだけかよ」と仰られる方も居られるでしょう。それはそれで、構いません。また「占いは当たってナンボ」という、考えを持たれてる方も居られるでしょう。それもまた、構いません。占いをどう捉えるかは、各々1人1人の自由なのですから。
人類が進化すれば、殆ど何も食べなくても生きてける様に成るでしょう。また、殆ど眠らなくても生きてける様にも成るでしょう。それでも人は尚、迷い悩む訳です。裏を返せば、そこに問題=ニーズ(今回はニーズを必要ではなく問題と訳します)が在る訳です。ある意味では、ビジネスチャンスとも言える訳です。今までは、宗教が心の問題を扱ってきました。むしろ心の問題は、宗教の専売特許でした。でも、今からは違います。1人1人が我がで我がの機嫌を取って生きるんですね。それもまた、ある意味では自立と呼べるのではないでしょうか。
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