絵で見ることで衝撃吸収
自分の人生のあらゆる場面で、たとえ混乱している場合であっても、できるだけ客観的に使いこなせる占いツールを選べと言われるなら、私はやはりタロットを1番に選びます。
数ある占術の中で、私がなぜタロット占いをメインで使い続けているかといえば・・・読み解くためのヒントが「絵」と「数字」という非常に分かりやすいものだからです。
配置やパターンを覚えなくて良いですし、自分で自分を占う際は、わざわざ言語化しなくても、カードの絵柄や数のイメージから、言わんとすることが伝わってきます。
なので、パニックになっているときや、感情的になっているときであっても、至って冷静に「それってこういうことですよね」と真っ当なことを指摘してくれるのがタロットの良いところでもあり、キビシイところでもあるわけです。
受け取る側も、言われることはなんとなく分かってはいるのだけれど、認めたくない自分も居たりする場合は特に、カードの絵柄で現状を見せつけられてしまっては無視するわけにもいかず、「はい、おっしゃる通りです。」と、言わざるを得ないというか、つい先ほどまでの興奮状態から、急に我に返ることもあるわけですね。
もちろん、セルフヒーリングや近しい人へのヒーリングが難しいように、自分を客観的に占うには、ある程度の訓練が必要です。
どんなカードが出ても、甘んじて受け入れる覚悟は必要だと言えるので、自分勝手に(都合の良いように)解釈しようとする、ずる賢い頭の働きを止める練習からスタートになります。
これは「自分の主観が出ているだけ」なのか、それとも「客観的に切り取られて出てきた何か」なのか、繰り返し自分や他者を占っていくうちに、だんだん違いやコツが分かってくるはずです。
ニュートラルにモノを観る訓練
タロットカードをお持ちの方はご存知かと思いますが、78枚のカードの絵柄は全部違っていて、そのすべてが同じデッキに含まれる存在になります。
この78枚の中には、1枚たりとも不要なカードはありません。
どの絵柄も、1枚1枚がそのデッキの一部、ある一面に過ぎず、それの持つ意味が全てでもないということ。
これはどういうことかというと、私たち1人1人の性格も、タロットカードの絵柄と同じで、様々な側面を持ち、どれが正解でも、どれが間違いでもないということです。
余計な1枚のカードのせいで恥ずかしくて嫌になるとか、このカードのような思いをするくらいなら消えてしまいたい、とかではなく、それらをも含むすべての面が揃っていての「私」である、ということを理解するのに、非常に役立つツールだと思うのです。
生きていれば、ソードの10のようなしんどい場面もあれば、
カップの3のような楽しい交流もあるでしょう。
「私」という本質を、余すところなく体験、理解するために必要なこととして、タロットカードで表現されている78の場面が、手を変え品を変え人生の中で出現しがちだと考えてみれば、それはそれで面白いのではないでしょうか。
だから私はタロットが好きなのです。
型にはめるのが嫌いな私には、結果や個性を断定せずに「そう望むなら、今はこうするのが良いかもね。」と提案してもらえる分、安心して冒険できるツールに思えます。
今の私は、どのカード(側面)を表に出して生きているだろうか?
今の私は、どのカード(事柄)に割と影響を受けてしまっているだろうか?
そんな、日常の些細な変化にも冷静に寄り添ってくれるのが、タロットの良いところではないかと思うのです。
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