子の理・・・なんて通じませんよね。勿論、子の内はそれでも良いもしれません。赤ちゃんの時とか、幼児の頃とか。未だ小ちゃいなら、それでも良いでしょう。では、子の理とは何でしょう?子の理とは、要は『我がさえ良ければ良い』というやつです。所謂、自己中というやつですかね。当たり前ですが、皆がこの理で生きたら世が滅びます。金は、多ければ多いほど良い。領土は、広ければ広いほど良い。そんな事をやってたら、アッと言う間に戦が起こります。騙し・奪い・殺す・・・と、正に世も末です。それじゃあ、私達は生きてけないです。
親の理・・・もまた通じませんよね。親の理とは、要は『我がと我がの好きな人さえ良ければ良い』というやつです。子の理よりかは、ほんのちょっとだけはレベルアップはしてますがね。でも、この程度だったら獣だって考えて生きてます。例えば、儒教には『仁』という考えが在ります。この仁に対して、何となく良い印象を持たれてる方も多いかもしれませんね。でも仁とは、あくまでも身内にのみ当て嵌めるものです。つまり『友は守る、敵は殺す』という事です。これまたやはり、戦が起こります。これじゃあ、私達は生きてけない訳ですよね。
占いをやらせて頂いてると、人間関係で悩まれてる方を占わせて頂く事が多いです。当たり前ですが、子の理や親の理で人と関わってると碌な事が無いでしょう。結論から言うと、皆が喜ぶ為に生きれば良いのです。まぁ、これを仏(さん)の理とでも言いましょうか。但し、思い違いをして頂きたくない点が在ります。それは『皆が喜ぶ為に〜』の『皆』の中には、我がもシッカリと入ってるという点です。我がも、喜ばせて良いんです。但し、我がを喜ばすのと同じ様に人も喜ばしましょうという事です。これだったら、戦なんて起きる筈が無いです。
日本、特に田舎には未だこんな考えが残ってます。それは『長男の嫁』というやつで、これはバチバチの差別思想です。先ず、男を生まれた順で優劣を付けてる点。次に、女を物として扱ってる点。この差別思想は、儒教思想です。まぁ女や子の人権を認めない様な考え方ですからね。儒教思想は、ハッキリと言って差別思想です。勿論、儒教の開祖の孔子さんが差別主義者だったかは謎です。儒教も然り、他の宗教も然り・・・長い時の中で支配者に歪められ、民を奴隷とする為に使われてるからです。取り敢えず、私達は儒教思想からは抜けましょう。
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