記憶に残す状況を決めているのは自分
生きていれば、いろんな腹の立つこと、ムカつくこと、イラッとすることもあるでしょう。
それ自体はどうしようもないし、仕方のないことだと思います。
これを書く前に思い出したのですが、今朝見た私の夢なんか、夢なのに若干イラっとする内容でした。
幼い頃の息子たちとファストフードの持ち帰りを注文してカウンターに並んで待っていたら、どんどん後の人が私の注文した商品と同じモノを先に渡されていき・・・なぜか自分だけが後回しにされていく・・・こんな夢、嫌ですよね~。
私もちゃんと店員に確認すればよいのに、
や~んわりと「すみません、あとどのくらいかかりそうですか?」と訊ねるだけで、
「ちょっと~、どういうことですか?こっちが後回しって、絶対おかしいですよね?」と率直なクレームを言えない自分に腹が立つ!みたいな。
こういう夢って目が覚めても、あ~、私ってホントバカだな~、夢の中でくらい、激しく言いたいことをガンガン吐き出しちゃえばよいのに~。。。夢だと分かっているのに変に気を遣う私って、本当にしょうもないやつだな~、などと苦笑いするしかなく。
最終的にはちゃんと商品を丁寧に渡されたし、選んだメニューもおいしそうだったし、息子らもご機嫌でした、という訳の分からない夢だったわけですが、これこそどうしようもないし、仕方のないことですね(笑)
前置きが長くなりましたが、
ブログのネタのヒントになるんじゃないか?というひらめきもあり、今日はこのことについて書いてみたいと思います。
許せなさと罪悪感と怖れを避けたい気持ちと
ひとまず冷静になって、「許す」とか「許せない」ことについて客観的に分析していきますとですね・・・。
例えば私が何か「許す」とか「許さない」とか考えてしまうようなできごとがあったとして。
その時の私がどんなポジションにいるかというと、周囲に誰がいたとしても「被害者」という立場でその状況を見ている、というのは分かりますでしょうか?
そして「許す」「許さない」の対象者についてですが、この場合は人間関係・・・例えば職場や学校で関わった人とのトラブルだったり、親子間の問題、恋人とのいざこざ、夫婦間の溝など、生きている以上誰とでもあり得ますし、人によって関わる対象となる人間も様々だと思います。
少し話がそれますが、スピ系の本の中には、「とにかくすべてを許しなさい」と書いてあるものもあります。
しかしながら、本人が被害者の視点にいるにもかかわらず「とにかく黙って許さなくてはならない」といわれると、逆にストレスになるのではないかと思ったりするので、無理に「とにかく許さなくてはならない」と躍起になる必要は無いと思いますよ。
大事なことは、とにかく一度視点を変えてみることです。
・・・これもありがちといえばありがちなアドバイスなんですけどね。
では視点を変えたとして、それでもあなたはどうして「許せない」「許したくない」のでしょうか?
確かに、その人に関わることで酷く煩わしさを感じさせられたり、自分自身が行き詰まってしまった気がしたり、苦しみや絶望感を味わうことになったのならなおさら、許すなんて難しく感じることと思います。
中には、「別に許しても構わないんだけれど、どうしても積極的に許すことができなくて・・・」という方もいます。
そういった方は心のどこかに
「ここで私が許してしまったら、私の負けなんじゃないか。」
「もしも許してしまったら、もっと自分の方がみじめな気持ちになって、逆にしんどい立場から抜け出せなくなるのではないか。」
といった不安を抱えていることもあるようです。
視点を変えるってどゆこと?
ここでいう「視点を変える」とは、あなた以外の周囲の誰も気にしていない、外側からは全く見えない、自分の中だけにある「勝ち負け」や「正義」にこだわることで、逆に幸せから遠ざかって苦しんでいる、バカな自分を見つけ出すことです。
自分の中の「勝ち負け」や、自分だけの「正しさ」にこだわるから結果的に人間関係がうまくいかなくなったりするのですが、人は心のどこかでそれを分かっていても、変えることが怖いものです。
例えば、弱い自分を認めたくない、間違いを認めたくない、誰かに頼りたくない、傷つきたくない・・・
こういった人に多いのが、過去、誰かに受け入れてもらえない体験をしたからか、「周囲はみんな敵」「自分以外信じてはいけない」などと思い込んでいるパターンです。
それとは逆に「相手の人に不快な思いをさせるのは嫌だから、私はじっと耐える。でも相手のことは許したくない。というか考えたくない。」という人もいます。
これは、誰かを傷つけることに対する罪悪感を持っていたり、「相手に自分の思いを正直に伝えることは、相手を困らせたり不快にさせることだ」と思い込んでしまっている人に多いです。
でも結局、そういったことに最初から罪悪感や怖れを抱いて向き合うことから逃げているのは、実は自分の方なのだと早く気がついた方が良いです。
実際、私はこのパターンで苦しんで散々な思いをしてきました(笑)自分が思うほど相手は・・・なんですよね。自戒も込めて。
許せないなら自由にしてみて
「許す」「許さない」の状況に囚われ続けて苦しむよりは、そこからまず自分を出してあげることを、先に考えた方が良いです。
その状況の中にいつまでも入り込んで、もがき苦しんでいる自分を、一旦「場外」に出してあげてください。
そして、「場外」の高い位置にある客席から、その状況をもう一度、別の視点から観察してみてください。
そうするだけで状況が変わる方も中にはいらっしゃいます。「私、どうしてあんなことにこだわってたんだろう?」って。
それから、もし「時空を超えて繰り返し現在の自分のアタマに再生し続けられている記憶の世界」から抜け出せない人がいたら、全て解放してください。
いつまでも過去にこだわり、それがまるで現実かのように脳内再生を繰り返して、何度バーチャル体験しても何も変わらない、何も解決しないことを、自分から繰り返し味わい、さらに自分を苦しめ続けていらっしゃる方がいます。
はい。それはもう、今や「幻想」です。
過去のその人もその状況も、ここにはもうありません。
現実から逃避して、過去の記憶の残像と断片を組み合わせた世界の中で苦しむことが日課になってしまうと、今の自分から置いてけぼりにされますよ。
とにかくその状況をまず一旦クローズすること。未解決ファイルとしてでも何でも構いません。
そして、それにまつわる周囲の人たちも、一旦そこから解放してあげてください。
するもしないも、あなたの自由です。
前に進むのを怖れてしまう根本的な原因(欠けているもの)は何なのか?
前を向けなくなっている足枷(必死に闘っている気がするもの)は何なのか?
こだわるということは、何かそこに自分の中にある問題が潜んでいるということです。
どうしようもないときは、
「とにかく一度、いろんなものをそこから解放できたらいいな~」と考えて(望んで)みましょう。
それが、最終的な「許す」ということに繋がると、私は思っています。
「イヤな記憶にまつわる者たちは全部好きなとこへ自由に行って良いよ」って解放すると、なんだかこっちが癒されてきます。
残念ですが、この世で自分が自分として生きるためには、他の人がいなければ成り立ちません。
誰にも頼りたくない、自分以外誰も信じたくないと言いながらも、
私たちは他の誰かがいないと、私がいったいどんな人物であるのかさえも、自分だけでは分からない生き物です。
どんな場合も相手ありきなので、どんなに心が痛く、苦しくても、自分から愛をもって近づいていくしかないです。
イメージだけでも構いません。
冷たく、重たく、けだるく、靄にかかったような、相手との間にある見えない壁を通り抜けて、こちらから近づいていくイメージで。
この時にとっても大事なことがあります。
相手と繋がることは、決してあなたの価値観を失わせることでも、あなたの立場を失わせたりすることでもないということです。
相手と親密になることは「あなたの人生の選択権や主導権を、相手に奪われることではない。」ということを忘れないでください。
ついでにいうなら、あなたのその感情は、あなたが選んで決めて味わっているものだということです。
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