誰だってコンディションは常に一定ではない
ここ数か月、いろんな方にお逢いして、いろんなお話を聴いて、いろんなところへ足を運んで訪れてみて思うのですが、人も自然も(当たり前ですが)、常に同じ状態であることは難しいですし、常に同じ能力を同じテンションで発揮できるかといえばそうではないということです。
私たちはどうしても、「素晴らしい」と称賛されるものに対して、常に安定した高いクオリティを求めてしまいがちです。
心のどこかで、あんなに世間で称賛されている人だから、素晴らしいに決まっている!とか、
あの霊能力者が絶賛しているパワースポットが、変であるわけがない!などと、信じて疑わないとか、ですね。
しかし、自然にも四季折々の変化や役割があるように、人も場所も出逢うタイミングによっては、感じ方や受け取られ方・役割や与え方が変わるものであるということを、忘れてはいけないのだと思うのです。
そして、自然とも相性があるように(寒さに強いとか暑さに弱いとか)、人や場所ともそれぞれ相性があるのだと感じます。
だからこそ、「好き」に特化したコミュニティが作れたりするのですから、他者と好みが分かれること自体は、悪いことではありません。
もしもあなたが、仕事や学業やスポーツで、常に一定以上の高いクオリティを周囲から求められ、それが当たり前だと思われ続けたらどうでしょう?
ちょっとしたミスにもがっかりされ、こんな人ではなかったはずだ!と口に出さなくても雰囲気で批判されるって、しんどくないですか?
しかし私たちは、気がつかないうちに他者や環境に対して上記と同じようなことを求めてしまっていることが多いようです。
まずはそれを理解することですね。
完璧だと信じ込んでいた先生のお話がグダグダだったとき
これはちょっと脚色を加えてお話しいたしますが・・・
衝撃と共にいろんなことに気がつかされた経験で真っ先に思いつくのは、とある有名な方のセミナーにまつわる出来事です。
たとえば「この人の話は間違いない!」と言われているような、特殊な分野のことをいつも楽しく分かりやすく、会場を笑いで和ませながら活躍されていらっしゃる先生の講座があったとして、しかしながらある時ビックリするほどテンションが低く、質疑応答に関してもしどろもどろで、全く調子が出ないことに先生自身がイラつかれている様子が聞き手である私たちにも伝わってきて、という非常に居心地の悪い内容だった場合、みなさんはどんな感想を持たれるでしょうか?
「こんな内容なら、参加しなければ良かった。」と思われる人がいるかもしれませんし、「先生、今日はどこか具合でも悪いのかしら?」と体調を心配される人もいるでしょう。
「もしかして、聴き手側の態度が気に入らなかったせいかしら?」と自分を責める人もいれば、「今回は特に感想はない。」という人もいるかもしれません。
そんな中、私がこの講座に参加して何が一番衝撃だったかといいますと、「この人もやっぱり人間なんだ。」という、「当たり前のことなのにうっかり忘れていた自分の心の中の前提」についてです。
当然ながら、その方も有名な講師である前に「一人の人間」なわけですから。
いつも同じ体調ではないし、もちろんお話しされるテーマも違うし、会場の雰囲気(参加メンバーの性質やリアクション)もその都度違います。
それなのにどうして私はこの先生を「いつも完璧であるに違いない!」と常に期待してしまっていたのだろう?ということ(失敗なんてあるわけがないという思い込み)に気がつけたことが、一番大きな衝撃であり、学びでした。
当たり前を疑うことって大事です。
そこに感謝がうまれるからです。
そのパワースポットは、あなたにとってどう感じられる場所ですか?
こんなことを言うとがっかりされそうですが、何事も概ね「その人が何かを信じる力」が強ければ強いほど、その人にとって強力なパワーになるので、「本人がパワースポットだと信じ込めば、実際にその人にとってのパワースポットになる」というカラクリがあるのですが、その話は一旦横に置いておいて、ですね。
ここから先もがっかりさせてしまうかもしれませんので、パワースポット好きの方はどうぞ読み飛ばしてください。
先日、たまたま近くを通る機会があったので、数年ぶりに立ち寄ってみた、いわゆる「世間一般的にものすごいパワースポットだと称賛されている場所」で体験した出来事について書いてみたいと思います。
どことは言いません。Instagramでもその場所は明かしておりませんし、あくまでも個人的な感想でしかありません。もちろん、相性の良い方もきっとおられるのではないかと思います。
しかし、私個人が今回、そこで感じたことを率直に申し上げますと、以前そこを訪れた時に感じた清々しい雰囲気はどこにも見当たらなかったということと、どうにも言いようの無い哀しみというか怒りというか、どうしてこうなったか分からないというか、きっと本当はそういう場所だったのかもしれないというような、不思議な感覚が漂う空間に変わってしまったように感じられて、かなりショックを受けました。淀むとか、鎮めるとか、近寄ってはいけないとか、そんな言葉しか思い浮かばなくて。
とにかく何とも言えない複雑な気持ちになり、なんというか本当に立ち入って申し訳ありません、なんだか良く分からないけれど本当に申し訳ありませんという感覚しか出てこないので、「すぐにこちらから失礼いたします。」と思いながらふと足元を見ると、ひょっこりイモリさんが現れたことに、かなり驚き・・・「早く移動して!」と教えられているかのような動きに先導され、振り返ることなく前だけを見て、一目散にその場を後にしたのでした。
その場の雰囲気が変わったのか、私自身が変わったのかは分かりません。
パワースポットと呼ばれているからとはいえ、やはり自然なので、すべてのモノが常に同じ状態で存在し続け、高いところで安定しているかといえばそうではないでしょうし。今回の事については個人的な体験なのでなんとも言えませんが、その時はそのように感じられましたし、ただそれだけのことであるに過ぎない話なのですが。
ちなみにそのあと、個人的に昔から気に入っている場所にも立ち寄りました。緑の木々の多い場所でもあるせいか、以前よりも地に足が着いた感覚にホッとしたところです。
今回、何がお伝えしたいのかといいますと、「誰かが素晴らしいと感じる人や場所が、必ずしもその他の人にとって素晴らしいとは限らない」ということと、
人も空間も自然が作り出したものだから、常に同じではなく、「良くも悪くも変化している」ということです。
だからこそ、「これは(この人は)こうだ!」と決めつけるのではなく、他者の情報を鵜呑みにするでもなく、その都度「自分がそれについてどう感じるか?」ということを、私自身も大切にしながら過ごそうと思いますし、みなさんにもお伝えしなくては!と強く思ったので、今日ここに書いてみました。
お読みいただき、ありがとうございます。
No Comments
Be the first to start a conversation