そんなに足踏みしてたら足元に穴が開くかもよ
こんにちは。
時々「自分の気持ちが自分で分からない」という人に遭遇します。
それは決して悪いことではありません。
まず、迷ったり、悩んだりする自分を責めたり、悪いことだと思わないことです。
ただ、迷ったり悩み続けてもその場から動こうとしないでいることは、精神衛生上よろしくないかもしれませんけど。
人は、自分で考えて行動しないことには進化成長できません。
そういった意味でも、自分の問題に自分で気がつくことは、とても素晴らしいことです。
しかし、自分の人生に不具合を起こしている問題が何であるかにだいたい気がついているにもかかわらず、理由をつけては足踏みばかりして、その場から動きたがらない人もいます。
まるで、どこへ行けば良いのか分からない迷子のように。
コントローラーを放棄したテレビゲームのように。
そのままだと時間ばかりが経過して電力だけ無駄に消費してしまうのはお察しの通りです。
そういった、今後の方向性というか、自分の気持ちが自分で分からないときほど、なぜか周囲を見ることばかりに意識が向いてしまい、気が焦ってしまいがちです。
しかし、そこで大切なことは、周りの人がどうこうということではなく、むしろあなたの心やあなたの身体はどう感じているのか?ということに、重きを置いてみることが先です。
それを考えた時に気が重くなったとしても、
それは本当にやりたくない(つらい)から気が重いことなのか?
本当はやった方が良いと心のどこかでは分かっているのに、
わざとやらないでいる(こわい)から気が重く感じられてしまうことなのか?というのは、自分の胸に手を当てて聞いてみるしかありません。
また、そんな人に限ってよくあるのが「もしも自分がこんなことをしてしまったら、相手が悲しむから・・・」という台詞です。
自分の気持ちすら自分で良く分からない状況なのに、他人の気持ちは分かるんですね。
それっておかしくないですか?ということですよ。
厳しくいえば、目の前で直接気持ちや考え方を確認できない相手に対して、勝手に相手の受け取り方や自分に対する思いを決めつけるなんて、かなり自分勝手な考えだということですね。
周囲の人を気遣っているといいながら、結局は自己中心的な被害者面であることに気がつかないことには、何も変わらないということですけれど。
もしかすると、相手は表向きの顔ではあなたに対して悲しんでみせたとしても、逆に心の中では舌を出して笑っているかもしれないのに、それでも知ったかぶりますか?ということです。
逆の立場になればもっと分かると思います。
たとえば誰かがあなたのことを、そんなに詳しく知りもしないのに、「あなたはこんな人で、こういう時はこんな風に考えるだろう」と勝手に決めつけて、知らないところで勝手に型にはめられていたとしたら、あなたはどう思いますか?
「いやいやいや、隠れたところで勝手に人のこと決めつけないでよ!」って思いませんか?
それと同じです。
あなたの方こそ、それと同じことを、平気で家族や恋人や会社の人にやっていませんか?ということですね。
私たちは、自分の都合の良いように世界を見る癖があります。
というか、自分の見たいものしか見ていないのですけれどね。
それが、自分を成長させるためのモノの見方であれば良いのですが、
大抵自分を見失っている時って、自分の都合の良いように解釈することに必死で、自分が本当に感じていることにはフタをして(見ないフリして)、「今ここ」から逃げていることの方が多い気がします。
誰だってそりゃビビりますよ
新しい一歩を踏み出すって、慣れ親しんだ環境から出ることって、とっても勇気がいることです。
誰だって、不安や恐れがあって当たり前です。
しかし、その挑戦ができるのも、命があってのことです。
生きてるだけですごくラッキーなことですよ。
今の人生をあなたらしく煌めかせるのも、パッとしない人生を生きるのも、あなたが好きに選べるのですから。
しかし、何かをやる前から、勝手に結果を決めつけることや、相手の反応・周囲の評価まで妄想世界で決めつけて、結果的に行動しないように自分から制限しているのであれば、勿体ないことです。
あなたは、転職するとき、恋人と別れるとき、何かにチャレンジするとき・・・どんな自分を選んでいますか?
誰かのために我慢する?
誰かのために今のままで良い?
誰かって、あなたのことですか?
本当は「こうしたい!」
「こうした方がいい!」と自分で分かっているのに、そうではない!と思いたい自分が何処かにいるのではないですか?
やらないことを納得させたい自分と、やらないことに罪悪感を持ってしまう自分のせめぎ合いに使うエネルギーって、本当に必要ですか?
他に有効に使えるところがあるのにもかかわらず、必要なところに必要なエネルギーが行き届いてないのって、なんだかとっても効率の悪い生き方だと思いませんか?
すごく不自由なことに湯水のようにエネルギーを奪わせる人
時間にもお金にも労力にも若さにも限界があります。
それらをいかに上手に運用していくかで、あなたらしい人生の豊かさは決まってくるのではないでしょうか。
私は誰もがその人らしく生きる権利を持っていると思っているし、そのためのエネルギーもきちんと持って生まれてきていると思っています。
たとえ、元々備わっている舞台装置や装備が違っていたとしても、その人が与えられたその人の舞台上で、いかにその人らしさを発揮して、誇らしいスポットライトを浴びて生きることができるかどうかというのは、結局のところ、その人の考え方や捉え方次第だと思いますので。
何かが足りないから上演しません?立派なモノはできません?
漫画「ガラスの仮面」を読まれると、ちょっと気持ちが切り替わるかもしれませんね。
演者に必要なのは、臨場感です。
いかに、その世界を自分が味わっていられるかということです。
何も無くても、観客にそのように魅せることは可能だということです。
そのためには、何を演じるかという夢や目標が必要だし、
上演中であったとしても、アドリブでシナリオは書き換えられるのですから。
人生ってそんなものです。
こうあるべきの台本なんて、思い切って捨ててしまえばよいのです。
演目だって、キャストだって、自由にあなたが決めて良いのですから。
観客の受け止め方なんて、賛否両論あって良いのですよ。
老若男女問わず全世界の人たちから絶対に大絶賛される映画、音楽、舞台、芸術なんてありません。
でも、それでよいではないですか?
それでもこの世に何かを残せる、誰かの心には残る何かが生み出せるのであればよいではないですか?
いちいちビビっていては、何もできませんよ。
というわけで、本日も学びながらお仕事させてもらっています。
あなただけではありません。
だからきっと、大丈夫です。
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