考えてはいるんですけどね~
鑑定やコーチングでお話をしている際に良く聞くセリフが、「そう思ってはいるんですけどね~」とか「考えてはいるんですけどね~」とか「分かってはいるんですけどね~」という、アタマの中だけでストップしている話。
考えてばかりいても何も変わらないです。
小さな一歩で構わないので行動することです。
ちょっとのことで、随分と世界が違って見えることもありますし、そこでもし失敗したとしても、うまくいかない方法がひとつ発見できたという誇りになります。前に進もうと決意すると、不思議と取り組まなくてはならないことが目の前に現れたりするものです。
以前にも書きましたが、全部が「当たり」のくじ引きに、思い切ってチャレンジしてみる価値なんて感じないはずです。
何を引いても当たりなのに、ワクワクして挑む人がどれだけいるでしょうか?
人生も同じで、この先に何が起こるか全て分かっていたとするなら、なんだかもういいやとなって、やる気が起きなくなるでしょう。
こうなることが分かっていることを、わざわざワクワクして取り組む意味が無いからです。
どうなるか分からないからこそ、人生は楽しいのです。
必要なのは、自分の意思で選択して、ドキドキワクワクしながら一歩でも前に進むことではないでしょうか。
最近なにもかもが退屈でつまらなくて・・・
人間、暇だからつまらないことで悩みがち、というのもありますが、
いろいろあって深刻になり過ぎて、毎日が楽しくなくなっているのなら、それはそれで問題です。
私の場合は、最近笑ってないな~と感じたら、無料動画を検索・・・最近でいうなら「ペリー・キー⓵」(←個人的に面白いと思ったんですけど、趣味の合わない方はごめんなさい)など見つけて、ときどき遠慮なしに笑う時間を自分で作っています。
人は、アタマの中で何もジャッジしていないとき、素直に喜怒哀楽を感じたり、喜びを味わうことができます。
新鮮な喜びや驚き、ワクワクが感じられないとき、落ち込んだり、なんとなく毎日が楽しくないとき、自分を俯瞰してみると、不要な正しさで周囲の人や環境、物事をジャッジすることばかりに気を取られている自分に気がつくかもしれません。
あの出来事(あの人)は自分にとって良いのか悪いのか、自分にとってプラスだったのかマイナスだったのか、あの人は本当は何なのか、どんな意味があったのか、そんなことばかり考えていても埒が明かないことに気がつかないまま、人はそれでもどうにかジャッジしようと、無駄な時間を使い続けます。
毎日がつまらない、楽しくないあなたは、いったい何をそんなに決めつけたがっているのでしょうか?
そんなことよりも、もっとあなたがワクワクすることや時間を忘れて楽しめることに取り組んでみてはいかがですか?
「どうせやったって無駄だし」、「ただのくだらない趣味だし」という言葉は不要です。無駄でくだらないから趣味というのです。
というか、無駄とかくだらないとかいうのも、まだやってもいないのに勝手に決めつけてますよね。
やってみたら、もしかしたら意外な方向へ転がることだってあるわけで・・・
どうして人は、行動する前から何か正解というか良いと思われる何かを得よう得ようとするのだろう?と不思議に思います。
やってみないと、誰にも(何も)分からないのに、ですね。
やってみてつまらないことなら、やめてしまえばよいだけのこと。
つきあってみて嫌な人なら、離れればよいだけのこと。
考えても何も変わらないことなら、考えなければ良いだけのこと。
それすら「できない」と思い込んでいる人が、どれほど多いことか・・・ですね。
かつての私もそうだったので、何とも言えませんけど。
でも、他人のこと(不幸や悩み)で、自分も一緒になって落ち込んだり泣いたり悲観的になるって、すごくすごくすごく無駄なこと(時間)ですからね。
こんなに思いやってあげている私って素晴らしい、なんて優しさにあふれる私なのかしら・・・と思えるうちは良いですが、それと違って現実はといえば、気分の良いことなんてたぶん何一つないですよ。依存されていることを頼られてると勘違いすることほど、不幸なことはありません。
そんなことしてるよりも先の動画をみて♪TIRO・TIRO・TIN~と歌って笑ってる方が、私にとってはよほど有意義な時間になるかと思います。(これは極端ですけど)
気功を学んでいて思うのは、人は生きている実感を味わうために痛みを引き起こすことがあるのだということ。
気を流すと、逆に痛みを感じてしまうことがあったり、一時的に呼吸が苦しくなったりすることがあります。
これは、気が滞っていたところや感覚が麻痺していたところに気が流れて、本来の状態に戻ろうとしているためであり、正座で長時間座った後(足のしびれが行き過ぎて、感覚さえなくなった状態から立ち上がろうとすると、膨張した感覚やびりびり・じりじり、変に足がだるくなったり、痛くなったりするの)と同じことです。
意識に上げると癒されます。
ケガをすると痛いのは、あえてそこへ意識を向けることで自己治癒力を高めるためです。
ということは、自分の中の感情にも意識を向けないと、内側から癒されることはないということです。
癒されないと、別の方法で生きている実感を得ようとして、自暴自棄になったり、破壊的な行動に出たりしてしまいがちになってしまいます。
そうではなくて、自分の中の様々な感情に目を向けて気がつくようにしていれば、身体中のさまざまな感覚の動き(反応)が分かるようになって、今の自分の状態がどうであるか?が自分で把握できるようになります。痛みも感情も、その都度きちんと意識に上げて経験していくことで癒しが起こり、自分らしさ(健康な心と体)へと繋がっていくはずです。
拒絶されるのが嫌なのはわかるけど
恋人同士であれ、夫婦であれ、友達同士であれ、些細なことで不要ないざこざが起きてしまうのはどうしてでしょう?
本当は互いに認めてもらいたいだけかもしれないのに。。。
かたや、悩まないようにじっと我慢して、自分の思いをグッと抑え込んで、なんとか終わらせようと努力し、
もう一方は、何かにつけて感情的になり、泣きわめいたりヒステリックになったり、そのくせ本当に泣きたいことでは泣かないようにしたり。
自分の思いを表に出して相手と分かち合うことを避けたり、自分が本当に感じていることを見ないふりしてしまうのはどうしてだと思いますか?
それはきっと、相手から拒絶されるのを怖れているから。
でも、勇気を出してリスクを冒さない限り、永遠にこういった関係性から抜け出すことはできません。
どちらも想いを言わないと分からないし、どちらも相手の気持ちを聞いてあげないことには始まりません。
そして、相手が言うことを変に被害者意識をもって聞かないこと。
恋人でも夫婦でも友人でも、決してあなたを嫌いで発言しているのではないということ。
分かって欲しくて、勇気を出してのことだということ。
素直に与えて、自然に受け取ることを意識していれば、きっと一緒に前に進むことができるはずですから。
それでもどうにも苦しいときは、お話しに来てください。
言葉にして吐き出すことで、気持ちやアタマの中が整理されてスッキリするかもしれません。
タロットでは、カードから読み解くことが私の役目です。
・・・ということで、しんどくなったらペリー・キーを思い出して、自分を褒めてあげましょうね。
そして、小さな行動を起こしてみることです。
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