SNSとターニングポイント

Fortune Tarot

気楽なことばかりではない

生きていれば、分かれ道がたくさんあります。
日々、目の前の出来事をどう感じ、どう捉えながら思う方向へ進めるか、もちろんこの記事を読まれているみなさんも、たくさんの分かれ道を選択しながら、今も進んでいらっしゃることと思います。

私の経験上、「なんとなくこのままだと上手くいきそうにないかもしれない、もしかすると、悪い人ではないのだろうけれど、信頼してはいけない人なのかもしれない。」と思い始めると、現実もそのように進んでいってしまいがちですし、
「これはきっとうまくいく、信じて大丈夫。」だと思えば、そのように進んでいくような気がします。

しかし時々、「今のこの心のモヤモヤがどこから来ているものなのか?」ワクワクだと信じて良いのか、それとも不穏な空気を察知してのことなのか、自分でもよくわからない心境に陥ることがあります。

どちらにせよ気楽に構えるしかないのですが、そのような時に限って、そうとも言っていられないように思える出来事が立て続けに襲ってくることも確かにあります。

これも私なりの解釈になりますが、それらの出来事はきっと偶然ではあるものの、その時が重要なターニングポイントだからこそ、起こるべきタイミングで起きたとしか考えられないこともありますし、そう思った方がよほど腑に落ちることも多かったりするものです。

もしかすると、遅かれ早かれそうなることになっていて、それがたまたまそのタイミングで起こっただけだ、とも捉えられますが。

もちろん、その最中にいるときには、自分でも気力があるのか無いのか、これらの出来事が何のために起こっているのか、よく分からない状況にいきなり投げ込まれたような気がして落ち着かないこともありますし、現実を受け容れようとすればするほど、胸が苦しくなることもあります。

今だから思えることですが、人生でそういったときに必要なことは、「いかに自分ひとりで抱え込まずに、客観的に寄り添ってくれる人に吐き出すことができるかどうか」ではないかと考えます。

現在の私は、とんでもない経験や驚くような出来事でも、生き方のひとつの参考材料として、みなさんにお話できてしまえるようになりましたし、自分が信頼できると思える人には、遠慮なくいろんなことを吐き出してしまえる人になれているのですが・・・。

さて、ここから先は、それができなかった頃の私について書いていきます。
自分で言うのもなんですが、あまり気持ちの良い話ではありませんので、気分を害してしまったらごめんなさい。

Twitterに入り浸っていた頃

今の自分では考えられないことですが・・・
その当時(2010年頃)の私は、表面上はどんなときも笑顔で、良い人でいなければならないと心に誓っておりましたので、抱え込んだストレスや不安、先の見えない悩みや自分一人では解決できない問題など、決して人に相談するようなことはしていませんでした。

誰かに話しても、どうせ無駄だと思い込んでいましたし、本当の自分を見せることは恥だと思っていました。

しかしながら、言いたいことを我慢して、心に不満を溜め込み過ぎるとやっぱりしんどくなるもので・・・このどうにもならない現状や、やさぐれた気持ちをSNSにぶつけまくることで憂さを晴らし、表面上は何食わぬ顔をして生活していました。

現実の、目の前にいる誰かに、素直に心のもやもやを打ち明けてみれば良いものの、変なプライドが邪魔をして、変に良い人を装いたがって、誰にも本当のことを吐き出せないまま、心の闇やきれいごとを気分次第でSNSに書き込む日々。

確かに、自分のつぶやいた言葉が知らない誰かの目にとまることだけでも、多少のストレス発散にはなっていたのかもしれませんが、ごめんなさい、やっていて楽しそうに見えたかもしれませんが、実際、楽しくはなかったです。

「何やってんだろう自分」と冷めた目で思う私と、「それでも充実していると思いたい」私のせめぎ合いでした。

何を投稿しても現実は何も変わらないのですから、投稿されていく世界と現実世界とのギャップに、変な虚しさが募るばかりでした。

今はどうしてそうだったのかも理解できるのですが、当時の周囲の人からすれば、四六時中うつろな目をして携帯の画面ばかりみている私は、まるで病人のように映っていたのではないかと思います。

この話はかれこれ10年くらい昔の話になるのですが、今の炎上騒動などを考えると、やっていたのがあの頃で逆に良かったと思うしかないです。

その都度思いついたことをTwitterに書き込めば書き込むほど、いろんなことが思いがけない方向へ進んでいくので、これ以上これを続けてしまったら、本当に自分のことが嫌になってしまうことに気がつき、怖くなってやめたのですが。

アカウントを削除してからはアプリを開くこともやめ、ルールも忘れてしまうくらいのブランクができたので、思い立ってFortuneのアカウントをつくってはみたものの、しばらく放置状態です。これからは上手に活用する方向で、と考えてはいます。

思い込みや習慣を変えることのむずかしさ

今回、私のこの経験から何をお伝えしたいかといいますと、
「どんなにその時は肌身離さず必要な存在だと思っていたとしても、一旦離れてしまえばどうってことはなくなっている自分に気づく、そんなものだ。」ということです。

「(この人から・この仕事から・このコミュニティから)離れてしまったら私の存在価値がなくなってしまう!」
「せっかくこれまで積み重ねてきた思い出や確立してきた立場が消えてしまうなんて悲しい、耐えられない!」

ちなみに、実際に離れて(アカウントを消して・仕事を辞めて・人から離れて)しまえばそんなことは全く無く、いつものように日常は何事もなく続いていくもので、自分の思い込みの残念さと諸々の浅はかさに、今思い出しても乾いた笑いとため息が出る次第です。

それまで「なくてはならない」と思い込んでいた不要な習慣を思いきってやめることは、決してそこから逃げることではなく、新しい道へ進むと決心することだと、私は捉えています。

何かを失うのではなく、周囲に自分とのかかわりを今後どうするのか選択する機会を与え、自分にもそれが(周囲とのかかわりについて今後どうするかを決める機会が)与えられているのだということ。

もしもそこから離れたとしても、お互いが必要であれば繫がりは消えないモノです。

思い込みや不要な習慣を捨てるのと同時に、新しい行き先を決めることで再スタートです。

余談ですが、新しいことにチャレンジするのに、ハッキリとしない不安や自信のなさが出てくるのは、私は当然のことだと思っています。

初回からいきなり何の迷いも躊躇もなく、100%完璧にスパッとできてしまう人を「超人」というのかもしれませんが、こういう人ってなかなか居ないと思いますので。

それともちろん、新しいことに自分自身が慣れるまでには、たくさんの労力が必要なことも当たり前だと思っています。

生まれてからこれまでの思い込みを削除しつつ、新しい信念をもつことや新しい習慣をダウンロードして使いこなせるようになるまでには、それなりの時間や労力が掛かって当然だと思いますので(マトリックスのような世界であれば別ですが)。

長年培われてきた、慣れ親しんだ自分の方が居心地が良くて当然ですし、たとえ良くない習慣だとしても、そちらの方が苦労なく自然にできてしまうとなると、やはりなかなか変えにくいのが習慣や思い込みだと感じます。

そうは言っても、新しく始めることが当たり前になるまで、黙々と続けるしかありません。

そのためにも、「それを続けることでどうなりたいのか?」というビジョンや目標を明確にしておくことはとても大事なことだといえます。

SNSとのつき合い方で思うこと

今は良い意味で、SNSに振り回されない自分になれている気がします。

「人は人、自分は自分」だと割り切れるようになったことが大きいですが、ニュートラルな気持ちで眺められそうにないときは、敢えて開かないようにすることも大事だと思っています。

本当に、とんだとばっちりを受けることもあり得るのがSNSだな、と思うような出来事も多々経験しましたし、自分もそうなりたくないので。

「幸せそうでムカつく」「何も考えて無さそうで腹立つ」「不幸自慢にイラつく」「だから何なの?と言いたくなる」こんな風に、何を投稿しても好意的に受け取られないことだってあり得るのがSNSの特徴でもありますので、発した言葉の受け取られ方は、見る人それぞれに委ねられている(発する側でコントロールすることは不可能だ)と考えておいた方が良さそうです。

短文で主語が抜けている文章は、どうとでも解釈することが可能になりますので、時にあらぬ誤解を生みだします。
「あのツイートって〇〇さんのことですか?」
「あれってあの出来事のことを言ってます?」のように。

今思えばとんでもなく世間知らずでおめでたい自分だったからこそ、あんなにも自由奔放な投稿ができていたのだと思われますが、
いやはや、SNSとの付き合い方というのは難しいものですね(かつてあんなだった私が今さら何を言っているのかと思いますが)。

今や、まるで10年前の自分を見ているかのような誰かの投稿を見かけると、懐かしいような、祈るようなあたたかい気持ちで静かに目を閉じ、そっとスルーする自分が出現するまでとなりました。

ここで先ほど(ちょっとSNSの話題から離れますね)、思い込みや習慣を変えるのは大変だという話をしましたが、私が40代で手に入れた信念や習慣といえば、

食べた後のお皿を洗うのがどうしても苦手だった自分が、そうではなくなったこと。

少ないモノで暮らすことや、手の行き届く、程よい空間で生活できることの方が、自分にとっては幸せだと感じられるようになったこと。

ゼロを経験することで、お金や高価なモノなど、ないならないで、どうにかして生きていけるものだと思えてしまうようになったこと。

これだけでも大きな変化です。

そして、

「どこで過ごすか」よりも、「誰と過ごすか」

「どんな(物質的な)モノを持っているか」よりも、「人としてどんな考え方や価値感(個性)を持っているか」

といったように、私自身の世界の見え方が、大きく変わったからだとも言えるのかもしれません。

吐き出せる場所を持つことは大事です

ここまで読んでくださった方はお気づきのとおり、私は割とこういった感じの人ですので、サロンに来られた際には、遠慮なく心のモヤモヤや日頃思っていることなどについて、時間の許す限り、思う存分吐き出してくださって全く構いません。

どんなに恥ずかしく思うことでも、闇が深いと思ってしまうことでも、どうぞ遠慮なくお話しください。

私の場合はできるだけ淡々と(たまに笑いあり涙ありですが・・・)、リラックスできる状態で、ニュートラルな立場の人としてお話を伺うように心掛けています。
基本的にどんな話題でも動じないようにできているみたいですので、(もちろんかつての私のようにSNSなどで見知らぬ誰かに向かって吐き散らかすやり方もありますが)よろしければこういった安全な場所で、当たり障りのない人に向かって、きれいスッキリ吐き出されてみることをおすすめします。

気功師・タロット占い師・コーチの藤井裕子です。 選べるハーブティーと日替わりのプチスイーツをお楽しみいただきながら、ゆっくりお話をうかがっています。 日常から離れた心地良い空間で、日頃の不安やストレス、緊張で凝り固まった心と身体のメンテナンスはいかがでしょうか? タロットや気功、コーチングを通して、あなたの未来に良い変化が訪れますよう、全力でサポートいたします。 ささいなお悩みでも構いません。ぜひ一度足をお運びください。

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