医者さんが患者さんに出す薬の多くは、漢方薬です。そして医者さんは診察しても、病の特定なんて殆どやれてません。それでもまぁ、軽い病なら治る訳じゃないですか。それは何でかと言われれば、プラシーボ効果です。キチンとした病院のチャンとして医者さんに診てもらって薬も貰った、それが病を治すんです。そういった意味では、薬は「体が治る」と体を騙してるだけなんです。いや、それを批判してる訳ではないですよ。プラシーボ効果だろうと何だろうと、体が治れば良い訳ですから。それに関してはキチンと認め、キチンと評価せねばね。
そもそも病は、我がの脳が起こしてます。例えば、冷え性もです。あれは脳が「この人は脳や心臓が冷えてるから、そこに血を集めねば」と思い違うから起きます。脳や心臓に血を集めるので、末端の手や足が冷えるんです。だからどれだけ手袋や靴下を着けても、意味は無い訳です。でも我がで病に罹ってるなら、当たり前ですが我がで病は治せます。例えば幼い子は親に構ってもらいたいばっかりに、本当に熱を出したりします。思いの力・思い込みの力って、決して侮れません。そもそも脳は外界から隔離されてますから、思い(情報)が全てです。
そう考えると、魂もまた情報でしょう。昔の人が、魂なんてものを在ると考えた訳も解ります。魂、というか自我ですかね。でも、自我って魂じゃないんです。自我とは、我がの知ってる事を重要な順に並べたものです。だから何かの拍子に重要度が換わり、順が入れ替わる事も在る訳ですよ。自我を性格と捉えるなら、だから性格も換えれるんです。そして悟りとは、全てのものを重要だと捉える事です。机の上に置いて在る鉛筆と我がの親が、同じ重要度に成るという事です。勿論、ずっとそのままだと不都合が起きるでしょうが。これが、悟りです。
全ての事は、内から外へ広がります。でも、内と外って何でしょう?体の中が内で、体の外が外なのでしょうか?心の中が内で、心の外が外なのでしょうか?私達は空間から生まれ、空間に還ります。そう考えると、空間こそが私達の本質です。じゃあ体は、仮の物。だとするならば体の外が内で、体の中が外とも捉えれます。それが、答えは既に我がの中に在るという事です。答えを探すなら、我がの中なんです。でも、何の為に?それは、目的の為にです。つまり、目的の為に探すんです。それこそが、真の意味での『自分探し』だと言えるでしょう。
No Comments
Be the first to start a conversation