4
この世には、4種の人が居ます。むしろ、4種の人しか居ません。それは『良い人で幸せな人・悪い人で幸せじゃない人・良い人で幸せじゃない人・悪い人で幸せな人』の4種の人です。でも皆様も、1度は考えられた事が在るのではないでしょうか。「良い人だから幸せな人と、悪い人だから幸せじゃない人は解る。大いに、解る。でも良い人なのに幸せじゃない人と、悪い人なのに幸せな人が居るのは何でだ?神さんも仏さんも、居ないという事なか?いやいや、それとも神さんも仏さんも意地悪なのか?」と、こんな事を考えた事って在りませんか?
人の法・天の理
これは、人の法と天の理の違いから起きます。人の価値観と天の価値観の違い、と言った方が解りやすいかもしれませんね。どんな人が良い人で、どんな人が悪い人か。それを決めるのは人の法で、人が人の価値観で決めます。どんな人を幸せにして、どんな人を幸せじゃなくするか。それを決めるのは天の理で、天が天の価値観で決めます。人の法は、時と場でコロコロと変わります。天の理は、それこそ宇宙の初まりから宇宙が滅びるまでビッチリと換わりません。人の法に従ってれば、社会的に成功できます。天の理に沿ってれば、幸せに成れます。
善悪
人の法と天の理が矛盾する、というのが今までの今までの祖の世の特徴の1つなんですね。だから人の法に従って社会的に成功してても、天の法に沿ってないから幸せじゃない人も多く居ました。そして人の法に従ってないから社会的に成功してなくても、天の法に沿ってるから幸せな人も多く居ました。ちなみに人の法は憲法やら法律やら条例やら、まぁ知ろうとすれば調べれる物ですよね。でも天の法は、今までは知ろうとしても調べれませんでした。まぁ釈迦さんやイエスさんなんかは、天の法と言うか昼の世の理を皆に伝えてたみたいですけどね。
禍福
人の法と天の理が矛盾しない、というのが今からの皇の世の特徴の1つです。つまり良い人で幸せな・社会的に成功してて幸せな人と、悪い人で幸せじゃない・社会的に成功してなくて幸せじゃない人しか居なくなります。天の法と言えば『自由・共生・進可』なので、皇の世ではこれ等が=人の法です。でも祖の世では『不自由・共生・退化』が、人の法でした。人に『不自由・共生・退化』を与えた物が、社会的に成功しました。皇の世では『自由・共生・進可』を、己と人に加えた者が社会的に成功して幸せな生を樂しむ事ができるという訳ですね。
No Comments
Be the first to start a conversation