自分ルール

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占いに来る客さんの中には、我がの『正しさ』に苦しめられてる人が多いです。でも我がの正しさは、我がで決めたものの筈です。仏教では『戒』と、呼ばれますね。勿論、ユダヤ教にもモーセさんの『十戒』が在ります。でも仏教の戒と他の宗教の戒の違いは、仏教の戒は『自戒』という事です。つまり「これをやる、若しくはこれをやらないと私は決めた」という事です。他の宗教の戒は「神さんがこれをやれと言った、若しくは神さんがこれをやるなと言った」です。これって、天と地ほどの差が在ります。因みに僕は、仏教派の戒で生きてますね。

でも我がで決めた事なんですから、我がで都合の良い様に決めてしまえば良いんですよね。少なくとも、法を犯さない範囲でね。日本は法治国家ですからね、取り敢えず今の法に触れなければ何の問題も無い訳です。でもまぁ、法と法の精神は違いますからね。法に触れないからと言って何でもアリかと言われれば、それは違うでしょう。何にしても我がの正しさなんて、ある程度は我がの好きに決めちゃって良い訳です。でも、そんな我がの正しさに縛られて苦しんでる人が居る・・・僕としては正直、不可解以外の何ものでないという感じなんですね。

正義、という語が在ります。これまた、曖昧なものです。正義は英語で『ジャスティス』だとされてますが、本来のジャスティスは日本語の『公平』に近い意味です。因みにアメリカは、金の元に平等な国です。金こそが公平であり、ジャスティスなんです。昔、その様に決めた国なんですね。儒教には『義』という語が在り、これが正義の語源だと言われてます。でも、そもそも儒教は不公平な考えです。例えば『仁』は『友は守る、敵は殺す』という考えです。他にも『忠』は『上の者には絶対服従』という明らかな差別思想だったりもする訳ですよ。

結論から言うと、絶対的な正しさなんて無いんです。そもそも絶対的なものが無いなんて、20世紀の内に数学や物理学で証明されてます。でも何でもアリだと社会で生きてくのに不都合が生まれるから憲法や法律が在る訳で、それ等さえも未来永劫に於いて絶対的なもので在る訳が無いです。法律や憲法でさえそうなのに我がで好き勝手に決めた『自分ルール』に苛まれるのってどうなの?って話です。僕は、自分ルールの方を換えます。その方が、圧倒的に楽ですからね。繰り返しますが絶対的なものなんて、この世にもあの世にも何処にも無いです。

幼い頃からスピリチュアルに興味と関心を持ち、多くの師に仕えつつ学びを深める。 未だ学びの途中ながら、その学びはスピリチュアルの枠を超え多岐に渡った。その知識や能力をアウトプットする場として、祓師という職を選ぶに至る。 クライアントの心に寄り添い、明日への元気が出てくる様な施術を行う。

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