きれいごとだけでは本気になれない
良い人でいることで、逆に自分の人生を狭めている人がいます。
「自分がこういう人であることが、親・祖父母・先輩・先生の望みだから、それを叶えて喜ばせ続けたい。」
このセリフを聞いて、「なんて素晴らしい人なんだ!」と思ってしまう人はちょっと待ってください。
確かにこのセリフをしゃべった人が、本当にいきいきと煌いていて、健康そのものだったら全くそれで良いと思うのですが・・・。
もし、このセリフを言いながらも、どこか体調がすぐれないような感じで、何かに追い詰められているような雰囲気だったとしたら、それは本当に素晴らしいことだと言えるでしょうか?
自分を置き去りにしてきた人の現在
さて、最初のセリフを言った人は、どことなくしんどそうな様子です。
「何のために頑張っているのか、どうしてこうなっているのか、確かに周囲の人は僕が一生懸命みんなの期待に応えている分、誇らしく思ってくれているかもしれないけど、でもぜんぜん自分の気持ちが晴れないんです。」
お話をうかがっていくと、空元気の裏に隠れている(抑え込んできている)不満や虚しさ、憂鬱さや、怒りの感情が伝わってきます。
最近のその人の悩みは「忙しいばかりでやる気や元気が出ない」こと。「仕事も人間関係もいろんなことが思い通りにいかない気がしている」こと。
誰かの望む生き方は無責任な生き方
残念ですが、今のままではしんどくなるばかりです。
なぜなら、自分が心からしたいことを選択してきていないからです。
こっちの方が無難だと思うから仕方なく。
求められているのはきっとこっちの選択だろう。
そうしておいた方が安全だろう。
これでは周囲の意見に同化していくばかりです(自分が無い)。
だから、やる気が出なくなって当たり前なのです。
自分以外の誰かが望む人生を歩むことほど無責任なことはありません。
「だってそれが〇〇の望みだから」と、考えることや選択することの責任を全て他人に負わせて生きることになるからです。
しかしながらその一方で、周囲の期待にこたえ続けることへの不安やプレッシャー、自分に嘘をついていることへの罪悪感や自己嫌悪がだんだん当たり前になっていって、どこか「あきらめのような感覚」に陥り、人生のバランスが崩れ、不安定になり、生きる意欲や健康まで損なうことになりかねません。
また、こういった生き方をしている人の空気感は、他者にも伝わります。
なんだか元気がない、覇気が感じられない、本当に楽しいのかな?笑っているようで笑っていないように見える、どこか不満そうに見えるなど、結果的に仕事も人間関係も微妙な空気感になっていったりします。
逆に、自己責任でやりたいことを楽しんでやっている人、やってみたいことにチャレンジしていく過程を味わっている人は、人生で最も責任感の伴う行動を自分で選択し、その人にしか負えない責任と共に、自分の足で立って自分の人生を歩めている人だと思います。こういった人は外側から見ても、なんだか生き生きとしていて、楽しそうに映るものです。
満足感が得られるにはどうしたらよい?
シンプルに今やっているしんどいことをやめればよいだけのことなのですが、もはやそれすら考えられない(やめるという選択肢がない)人もいます。
自分を犠牲にしてまで、周囲の期待に応える生き方をしなくても良いのです。
誰かのまねをする必要もありません。
そもそも、「やる気が出ないから、出さなければならない」という状況自体が、「私はやりたくないことをやっています。どうしたら無理やりにでもやる気が出てきますか?」と言っているようなものですから。
やる気は無理矢理出すものではありません。
したいことをやるから、やる気が出るし持続するのです。
もしくは、それをすることで、結果的にやりたいことができるから、それがやる気に繋がるのです。
才能のあるなしや、適性がどうのこうのなど関係なく、シンプルに自分がやりたいか、やりたくないか、それを考えると楽しいか、楽しくないか、ワクワクするかどうかが大事だということです。
ただし、満足感が持続しにくい極端な行動(悪癖・依存)は、心理的な問題が前提にありますので、「ワクワクすること」でも話が違いますし、「才能や適性が無いからやれない」と思い込んでいると、怖くていつまでも足を踏み出せないままになります。
何がやりたいことなのか分からない時は、自分にとって嫌なことや苦痛を伴うことを排除することから始めると良いと思います。
そうすると、結果的にやりたいことしか残らなくなっていきますので。
もっと自分の人生に自由を与えることです。
自分の好き嫌いや生き方は、自分で決めて良かったのです。
他の誰かの言うことを聞いて、永遠にその人たちにとっての「よい子」でいることが素晴らしい充実した人生だというのは幻想です。
自分に正直に、自分の気持ちを探りながら、やりたいことを思い切ってやってみることを自分に許可していくと、自信が生まれ、心身ともにリラックスでき、劣等感や自己嫌悪にさいなまれない、自由で満足のいく暮らしができるということです。
そんな風にやりたいことで社会や人類に貢献できるようになると、より「人生に対する満足感」で満たされ、それに伴って仕事も人間関係も向上していくでしょう。
妥協せずに楽しんだもの勝ち
これまで妥協ばかりでつまらない生き方をしてきているな~、と思っている人がいれば、この瞬間からそれをやめることです。
そうでないと、当然ですがこれから先も、当たり前のようにつまらない人生になってしまいます。
やりたいことはバランス(バランスホイール)を大事にしながら全部やっていく、くらいの気持ちでいれば、実際にそうなっていくのではないかと考えます。
余談ですが、私もかつては人生をあきらめがちで、無責任な生き方をしていた一人でした。
しかし幸運なことに、途中から犠牲になることをやめ、良い子を演じるのもやめ、好きなことをやっていくことで自分を取り戻し、実際にこうして誰かのために書き綴り、占いや気功ヒーリングなどを楽しみながら、自分らしく暮らすことができています。
現実を直視し、不具合に気がついて、そんな生き方は「私らしくない」と思えれば、あなたもきっと変われますよ。
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